ジェリー・ガルシア インタビュー、1985年
with ポール・クラスナー
THE REALIST誌 99号 (1985年、9月−10月)より
Paul: 世界が今までにも増してやばくなっていると思わない?
Jerry: そうだね。オレにとって最近一番やばいと思ったのはあのアヤトラ[・ホメニ]と地雷処理に使われた子供達の事だ。イラン・イラク戦争の間、彼は子供達を手をつないで並ばせ、地雷地帯の上を歩かせたんだ。その方が地雷探知器よりも安上がりだったからだ。
Paul: 想像もつかないな。
Jerry: 驚くべき非人間的行為だね。その一方で、連中はシャーが爪を剥いで拷問したなんて文句を言っているんだ。だけど子供達を地雷地帯を歩かせてるんだぜ。全くシュールリアルという他ない。連中が何を考えているのか分からないよ。
Paul: でも楽観性はどうやって保っているの?現在世界中で48もの戦争が同時に起こっている。だけど音楽は楽しいものだ。「殺さないでくれ、お願いだ」["Please don't murder me" - デッドの曲、「Dire Wolf」の歌詞]って歌っている曲も楽しい歌だ。
Jerry: うん、回りの状況があのレベルで動いている時っていう事には、その単純さがある美しささえ帯びる事があるんだ。オレがあの歌を書いたのはサンフランシスコ市内でゾディアック・キラーって奴が殺人を繰り返していた時だった。毎晩スタジオから帰る途中、交差点にさしかかると回りを見回したもんだ。そして車がやってくると、「これで最後だ。オレは死ぬんだ」みたいな。それがゲームみたいになった。毎晩オレはその事を意識していて、その繰り返しが現実性を持つようになった。"Please don't murder me, *please* don't murder me..."
Paul: となるとあの曲はメタファーじゃなくて実際にあった事なんだ。
Jerry: いや、全くそうだとは言えない。偶然だった事もあるし、その時は実際にそうだった事もある。
Paul: では、それを論理的に飛躍させてみよう。今の若い連中の半分以上は、彼等が生きている間に核戦争が起こると考えているという統計がある。しかし彼等が問題にしているのはキャリアを取るか、結婚を取るかなんだ。
Jerry: うん、でもオレ達はその間にもやるべき事があるだろう。核戦争を想像するのは「容易」だ。だってエネルギー資源の殆どは以前からやっているあの軍事増強に未だに吸収されてしまっている。この件に関しては全く変っていないし、今までになく恐ろしいものになっている。それだけじゃない。オレ達は古い糞ったれシステムの全てをなくしてしまう事については何にもやっていない。だからあんなものが過去40年の間に馬鹿でかくなってしまっているんだ。もし君が今子供だったら、それが今君に見えるものなんだ。40年分の馬鹿げた事は即時過去のものになっているからね。そして、それを別方向に転換しようとする努力を誰もしていない。本当はオレも恐いんだよ。
Paul: 以前は「この世界は破滅に至る」なんていうプラカードを持った変な老人がいたもんだけど、今じゃそれがバンパーステッカーに浮き彫りされているもんね。その一方で、ある島でサツマイモを食いながらサル達が生き長らえていて、彼等はいつも砂まみれのイモを食っているという100匹目のサルみたいなニューエイジっぽいたとえ話はあるけどね。
Jerry: ああ、そのサルの話は知ってるよ。今じゃ彼等はサツマイモを海水で洗って食べているわけだ。
Paul: それはある若いサルがやり始めたんだ。
Jerry: 若いメスのサルがね。
Paul: で、他のサル達も同じ事をやり始めて、その数がある臨界点に達した。それが100匹目のサルというメタファーだ。97匹目でも108匹目でも同じ事なんだけど。若いサル達が大勢がそうするようになって、最初の大人のサルがそれを始めたわけだ。逆世代影響ってわけだ。そして他の大人のサル達も同じ事をするようになった。
Jerry: うん、サル達が皆突如そうする事を知っていたように見える、そんな瞬間があったわけだね。
Paul: その後、その島からちょっと離れた島でも同じ事が起こった。心霊現象的なコネクションだよね。これを人間の行動に当てはめてみると、僕達が個人レベルで、或いはグループレベルで何をやっていても、もし僕達自身がその100匹目のサルになってしまえば、僕達が流れを変える事になるかもしれないわけだ。
Jerry: 全くその通りだ。それは、何時だって数の問題だという気がする。つまり、想像し得る中でも最悪の状況を避けるだけなら、ほんの数パーセントの人間達が精神的なもので正しい方向へ引っ張るだけでいいわけだ。そして、ポジティブである事っていうのは何時だって重みを持つという、何らかの自然な傾向があるように思えるんだ。物事を破壊するっていう事にはある組織的な要素が欠けていて、本質的には不利な立場で作用している。なぜかと言うと構築という考え方は常に何らかの賛同を必要するからだ。破壊はそれを必要としない。長い目で見れば破壊そのものに対しても不利なはずなんだ。
そう、オレはその考え[100匹目のサルのたとえ話]を信じるね。オレは常にサイケデリックスというものがある意味でそれに通じていると信じてきた。もし、必要な数の人々が参加したら何らかの意識的飛躍、現実のパラダイムシフトが何らかの形で起こるだろう。オレはいつもそう感じている。その過程は誰が想像したよりも遅い。その間、あまりにもへこんでしまうのを避けるために、オレは哲学的に対処する事にしたんだ。ただ、「これってかなり長くかかるよ」って考えるだけにしたんだ。
Paul: 60年代への新たな関心は、スピリチュアル革命を永続するといった深い関心なのか、それとも60年代のトレンディーなものだけに関するただの流行なんだろうか。
Jerry: いや、それよりももっと深いものだ。まず、表面的なものでは絶対にない。それはもっとソウルフルなものだ。だって、オーディエンスの中にはそんなキッズがいるし、話もする。今16才、18才の連中だ。オレたちがあの時代にそうだったのと全く同じさ。
Paul: 純潔さの喪失をのぞいては。
Jerry: そうなんだ。彼等は以前にも増してくだらない事が起こっている事は知っているんだ。だけどあのような出来事はもっと目に見えるようになっているから、対処するのが容易になってるんだ。オレ達の場合はあの世界に直面して何が起こっていたのかをそこまで理解していなかった。今、彼等はあのようなパラノイドの現実に慣れちゃっているんだな。
Paul: というと、彼等にはそれほど調整が必要ないって事かな?
Jerry: 彼等にとってそれが良いか悪いかは分からないけどね。ただ分かっているのは、彼等にはやる気があるし、良い人間達なんだ。その事はオレが知っている。
[付記:これまでの部分はThe Realist誌、1995年秋に発行された131号に再掲載された。]
Paul: グレイトフルデッドにはサイケデリックが根底にあるわけだけど、その事が曲の構成やコンサートの構成に影響する事はあると思う?形作っていく上で、という意味で。
Jerry: 曲を作る時には特に影響はないな。
Paul: 曲の中で自由に出来る時を除いてはね。
Jerry: そうだ。オレ達の曲の中にはいろんな要素が一杯詰まっているのもあれば開放的なものもある。たとえて言えばルースリーフのファイルのようなもので、開いてその中にいろんなものを入れる事が出来る。他にはある体験を収める事が出来るように、方向性を定められるようにアレンジしてあるんだ。その半分は、直接的でなければ少なくとも部分的にサイケデリック体験にヒントを得たある形が必ず備わっている。波形の。その中には高まりってものが存在する。もう半分はリスクを辞さず、いったんバラバラにしてしまい、そして帰還、再構築するような構成になっている。
Paul: まさにそこがサイケデリックスの妙味とも言えるところだよね。つまり、渦巻きをいくつか起てながらも、どうにかしてあのコアの所へ帰って行くという。
Jerry: そうなんだ、多少の部分は無くしてしまうかもしれないが、自分が全くバラバラになってしまうのを見ても絶望しちゃいけないんだ。絶望しないで、その代わりにあるがままにしておくんだ。ここ数年、オレ達は最もフリーフォームな曲の中で面白い事をやっているんだ。特にどの曲という制限はない。それはただフリーフォームの音楽であって、リズミックでもいかなる音楽的な規準でも何でもない。だけど完璧に奇妙なものである事は確かだ。
オレ達はそれにいろんなテーマを選んでいて、絵画や映画のように考えているんだ。レーガンの訪中はそんなテーマの一つだった。カダフィの決死隊だったりした事もある。ある時はそのテーマは非常に細かい所までディテールが施されてあるし、またある時それはただ広い意味でのテーマに過ぎない。オレ達は、こんな事を思い付くまま、思い出したようにやっている。特にそうしなきゃならないというルールはないからね。だけどその音楽のそんな部分には、凝縮するような、何か全く別のレベルの構成力がある。それがとても興味深いんだ。
それは、サイケデリックな体験でもなんでもいいんだが、個人的な体験をしている時に外部の世界の事を考えるかどうか、というようなもんなんだ。生活で起こっている事、まわりの世界の事、それがどのように個人に作用しているか、トリップの中で起こっている事にどんな色彩を与えているか。音楽はある意味ではサイケデリックスみたいなもんだ。ステージから降りてきた時など、オレは絶対そうではないと知っていてもドースしたんだと思い込むような時だってあるんだ。
そしてこれはこのバンドのみんなにも起こっている。音楽に関係したものなのか、あるいはインドの人々が信じているように感情的現実が音楽のインターバルに存在しているからなのか、何か生化学的現実のようなものがそこにはある。インドの音楽は、ひとつひとつのインターバルに沿って何らかの情緒的真理があるように構成されているんだ。つまり彼等が演奏している間、彼等は君の心を演奏している。神経系音楽を演奏していると言ってもいい。彼等はそう信じているし、君が聴いてもそう感じるんだ。だから、何らかの生化学的な、微妙な脳たんぱく質が生成され、それが変化しているような、そんな形の現実があるのかも知れない。
Paul: その可能性はあるね。だって君がギターを弾いていて、ある音に達した時僕の身体が動いているし、本当に意識している時は僕自身がエンドーフィンを生成しているのが分かるもの。
Jerry: 正にその通りだ。事実そうなんだ。その辺の学術的研究は題材が「向うの方」にあるっていうことで誰もそんな事が起こっているかどうかを確認するという作業には熱心じゃないけどね。いつかは研究されるかも知れない。
Paul: 連中はエンドーフィンを合成して商品化する方法を考え出すまで待っているんだろう。だって今はタダで手に入るんだから。
連中は喫煙中毒というものが実は細胞組織の破壊によって生成されるエンドーフィンの中毒だという事を発見した。もしある薬品会社が、道徳的か非道徳的な会社かは別にして、合成化されたエンドーフィンを精算する事が出来たら、これらの中間プロセスを省略してしまう事が出来るわけだ。ジョッギングする奴なんていなくなっちゃうね。
Jerry: そう、ジョギングに夢中な連中はエンドーフィンに完全にハマっているんだ。彼等は中毒症状だって引き起こすくらいだからね。脳内化学については非常に多くの謎が隠されているから、時にはサイケデリックな体験が起こっても不思議はない。いつもそんな事が起こるってわけじゃないが、結構頻繁に起こるだろう。個人的にはオレにも頻繁に起こるからこそそこには何かあるんじゃないかと気になるわけだが。
オレが時々経験した事にはもっと面白い事があるぜ。これはほんのたまにしか起こらない事で、ステージ上の誰か、多分ヘルスエンジェルスの連中がたまたまDMTを吸っていた時だ。とにかく、ステージ上でDMTを吸っている奴がいると、実際に測定可能な効果がステージ上の電気的生涯という形で現れるんだ。オレにも実際に聞こえるんだ。適切な測定機器があったら測定できただろう。あれは本当に変化を及ぼすもんなんだ。実際に電子の飛翔みたいな事が起こって、一種のワイヤレスブロードキャストを作ってしまう。
ある時にはオレが突然何か異様なものを感じる事がある。「その後に」DMTの匂いに気がつくんだ。例えば君がエレキギターを弾いているとする。君は指先でほんの些細な事をやっている。一番細い弦の太さは1000分の1インチだから小さなもんだ。君が弾いている些細なチェンジは増幅されてでかくなっている。この流れに何か精神聴覚的な作用が起こった場合、君の身体が感じるんだ。君にはそれが聞こえるばかりか、「感じる」んだ。そしてそれが君のタッチをも作用する。
このDMTという代物は、誰かが平方波動発生器を突っ込んだみたいに音波が突如上半分ぶち切られたようになる。スーパーファズトーンを入れたみたいにね。そして振幅も20%から30%高く変調する。驚くべき現象だ。オレ達は頭脳というものが何をするのか「理解」していない。多分、科学的には測定し、数量化し、再現できるものなのだろうが。
Paul: でもその下には常に別の謎のレイヤーがあるよね。だけどみんなその謎についてのメタファーを必要としているんだ。だから100匹のサルの話を聞いた人は、「すると、最初にスイートポテトを洗った若いメスザルは、実はアイレス人だったに違いない、彼等は開拓者の精神が旺盛だから」なんて言ってるんだ。
Jerry: サツマイモはそのサルに何を言わんとしていたのか?
Paul: 『俺を本物のサツマイモにしてくれ』とか。
Jerry: 『皮を脱ぎ捨てるのを手伝ってくれ』とかね。
Paul: 実際には、あのサル達の食生活にはサツマイモに付いた砂が飼料として必要だったんだ。そこへおせっかいな人類学者達がやってきた。今じゃあの島は便秘で苦しむサル達で一杯だ。
Jerry: 今やサル達は人類学者達をすっかり気に入ってしまっているんだろう。弁当なんかも取っちゃうだろうし。サツマイモなんかには見向きもしないんだろうな。
Paul: 便秘薬は取っちゃうらしいよ。
Jerry: エクスラックス[Ex-Lax。アメリカで知られるチョコレート味の下剤]にハマった日本猿か。
Paul: それってデッドのコンサートでテーマにならないかな。どんな画を想像する?
Jerry: さて・・・オレ達は巨大で絹のクッションに覆われたディバンベッドに寝そべっていて、年頃の女性に囲まれ、彼女たちに皮を剥いたグレープなんかを食べさせてもらって、でっかい水パイプもあって、なんてのはどうだろう。
Paul: それを想像するのに全く時間がかからなかったみたいだね?
Jerry: いやいや、オレがやったのはただいろんな出来事が起こる、あのロックンロールのスペースにダイアルを合わせただけだぜ。
Paul: で、僕達が見回すとそこには数匹の若いメスザルが海水入りのバスタブでスイートポテトを洗っているわけだ。
Jerry: ジープの残骸が数台転がっていて。
Paul: ホメニのポスターではペルシャ・パウダーが密輸されている。
Jerry: 地雷探知に使われたお陰でかたわになってしまった子供達によって。
Paul: コメニに「あの子供達は地雷探知器になるために育ったんじゃない」って手紙を送りつけてやりたいね。そしてジェシー・ジャクソンにもだ。「ユダヤ人の指導者達に『聖歌好きの奴等』という言葉を使った件で謝罪できるなら、ロックミュージックの歌詞を検問するべきだと言った件についてもロックコミュニティーに対しての謝罪があってしかるべきだ」とね。
Jerry: ウッソ〜、彼はそんな事を言ったの?
Paul: うん。だって彼はロックの歌詞がセックスを許したり、匂わす事だって恐れているからね。
Jerry: それはダメだろ〜、昔ロックミュージックが「ニガーの音楽」と呼ばれていた事を忘れているんじゃないだろうな?
Paul: これってデッドの次のベネフィットコンサートになりそうだよね。ジェシー・ジャクソン避妊クリニックのための。君の音楽はあるレベルではエンターテイメントだけど、僕はもう一方でそれが奉仕であると思うんだ。
Jerry: 確かに、オレはいつもオレ達が社会奉仕みたいなもんだと思ってるんだ。いや実際、公益事業だ。そう感じるね。多くの人々にとって、たまにはパァっと楽しくやるのは治療的働きがある。オレ自身については絶対にそうだ。思うに、オレ達がやっているのはそれなんだな、実際。それに何らかの形で方向を持たせる事が出来るというのは素晴らしい事だね。
かなり昔の事をちょっと思い出したよ。ケン・キージーやウエイビー・グレイビーがいたな。それも偶然ではなく。オレ達はシンシナティかどこか変な所でショーをやった。ある大学かなんかだった。キージーはそこで講演をする事になっていて、ホッグファームの連中もいた。たぶん69年、いや68年だったか。オレ達がそこへ行って演奏して、観衆は物凄くノリノリになっていた。その後オレ達はその街を去った。だけどホッグファームの連中は居残って、次の日ある地方のFM局に出演した。あの頃は番組も詰まっていなくてフリーフォームのラジオがあったんだ。そこで連中は言った。この街には空き地が一つある − それは黒人街にあった空き地で古タイヤやマットレスやいろんなジャンクとゴミが放置してあったんだ − で、彼等は言った。「この空き地をきれいにしよう。」その街の人々をそこに集めて、その前の夜にあったコンサートのエネルギーをそのまま持続させた。フィーリングの持続といえばいいかな。
その日の終わりに、黒人の女性達が働いている白人街から帰ってくると、そこには「公園」があったんだ。
コンサートでのあのハイなエネルギーを使っているんだ。あんな事をやらかす時、ウエイビー・グレイビーとフォッグファームの連中は何とも言えない優雅さを持っているね。オレにとってこの事は常に良い奉仕のモデルになっている。分かるかい?これを使って何か出来ないか?これを次のステップへ持っていけないか?意図的なマインドコントロールにしてしまう事なく。あれは全くその場で起こった出来事の一つだ。とても良い事だし、あの件については素敵な反響もあったよ。だけどオレにとってあの出来事は今までずっと、適切な要素を持ち込んで、さらにそこの人々があの素晴らしいエネルギーを理解していたら、必ずなにか良い事が出来る、そしてみんながいい気持ちになれる、という事のモデルなんだ。
和訳 by Wolf
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