2004年11月13日

アトム・ボムの夜

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11月12日の夜、インド全国は一週間続くディワリ祭のピークを迎え、賑わった。「光の祭り」とも呼ばれるこの祭りは、盆と正月とクリスマスとアメリカの感謝祭が全部一緒にやって来たようなものである。祭りの中心となるのははやり家族だ。実家から離れて働く者や学生たちが帰郷して実家の家族と共に祝う。私たちの運転手、ヤドヴも彼の家でこの祭りを祝うため、私たちも便乗して彼の故郷、ティジャラという街でインドの一家族と数日を過ごす機会を得た。

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ディワリには花火や爆竹がつきものだ。祭りが始まる数日前に滞在したアグラやジャイプルの街角では至るところで爆竹が炸裂し、街を見下ろすホテルの屋上からは花火が上がっているのが見えた。これらの爆発物を買う際の制限などは全く無く、誰もがどこででも買え、祭りをひかえたインドの町々では多くの花火商人が店を開いていた。

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いろいろある爆竹の中に遊び用とは思えない爆発力と炸裂音を持つものがある。その名も「アトム・ボム(原子爆弾)」。一ダース入りの箱にはその爆発に恐れおののいた男が悲鳴を上げている絵が印刷されている。ヤドヴ一家の近所では、帰省した20歳前後の若者たちが集まり、次から次へとこの大型爆竹を爆破させていた。その一つ一つが爆破する度に一帯の空気は異様な動きを見せる。他の爆竹や花火の音も重なってこの小さな街は市街戦の様相を呈していた。

その爆破現場のすぐ傍をたまたま歩いていたことがあった。その爆発力は私の服を翻し、髪や顔の皮をも一瞬揺るがせる威力を持っていて、耳鳴りは丸二日止むことが無かった。若者の一人が笑いながら話し掛けてきた。「アトム・ボムって言うんだ。凄いだろう?広島や長崎みたいにドカーン!ってね。」彼らは私が日本人であることを知っていたわけでもなく、また私を意図的に侮辱しようとしたわけでもない。若者たちはあくまでも無邪気に祭りを楽しんでいただけなのだ。

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あの若者たちにとっては楽しいことなのかも知れないが、日本人の私にとって彼らの言葉は少々異なる印象を残す。私にはその異常にパワフルな「おもちゃ」を楽しいモノだとは思えず、第一どんな製品にそんな名前を付けて売るといくコンセプトが理解できない。最も、インド人は何かにつけて「インドでは全てが可能なのです」と言うのだが。そして本物の原子爆弾によって破壊された二つの都市に対する若者たちの無神経さにも畏怖を感じる。これがパキスタンと核兵器を競う仲にあるインドで若い世代が持つ原子爆弾についての認識なのだ。

インドの小さな街で体験した光の祭りは、インドの農家やごく普通の家庭生活を垣間見た貴重な体験だった。と同時に、この世界的な傾向の今と未来を考えさせられるものだった。「アトム・ボム」の爆発が夜遅くまで鳴り響く中、頭の中では連想が連想を生み私は早朝まで眠ることが出来なかった。

Posted by taro at 2004年11月13日 13:13
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