2005年02月12日
タイを学ぶ

バンコックの勝利記念碑から高架電車タナヨング(BTS)に沿って南北に走るパヤタイ・ロード。その一角に立つオフィスビルの側面を巨大なバナーが覆っている。現タイ国王、ラマ9世の肖像写真がハンサムに映る。遠くからでも容易に読める英語の見出しが「最も偉大な国王」と宣言している。国王の目は厳しさを帯びながらも優しく、タイ王国の明るい未来を見定めているかのようだ。事実、国王と王妃の巨大な肖像は大通りばかりではなく市内の至る所に見られる。彼の肖像は、時には王室の正式な軍服をまとって国民への奉仕を象徴し、時にはポロシャツとカジュアルなスラックスに愛用のカメラを首から下げた姿で国民にとって身近な存在であることを表現している。そして私たちは、バンコックを訪れるたびにタイの人々の国王への深い想いを感じる。

これはタイ国内に限られているわけではない。海外在住のタイ人は祖国から遠く離れていても国王への愛情を持ち続けている。タイ料理の店に行かれた方は、店内の壁のどこかに国王と王妃の写真が掛けられ祀られているのをご覧になったに違いない。国王のタイ国民に対する誠志な想いと愛情が、国民の彼に対する愛情に反映されているのだ。
1970年代以来20年に渡る不安定な政情の後、タイは民主主義国家となり、現在国王には政治的権限は無い。国王は大きな混乱と多くの人々の流血を回避するために政治権力を国民に譲渡した結果、タイは民主主義社会となった。この時、国民の意志を誠実に受け入れた彼の行動は、人々が彼を尊敬して止まないことの数多い理由のひとつでもある。

国王の宮殿を囲む壁に沿って、その内側に王室の地所とはまるでイメージが違う建物や牛舎、グリーンハウスなどが立ち並んでいる。そこは、国王が農業から現代産業の各分野で学習と実験を自ら行っている研究施設なのだ。タイの人々にとって有益なものとなる新たな発見があると、国王は王室直属の機関を通じて人々に「進言」し、多くのプロジェクトが成功している。例えば、彼の用水と土地使用に関する研究(国王が得意とする分野だと言われる)を基にバンコック郊外に貯水池と水路が建設され、かつて市内に多くあった水路の埋め立てが原因で頻繁に起こるようになった洪水が減少するという結果を生んだ。また、タイ北部の山々に住む少数民族に利潤の多い野菜や果物の栽培を奨励し、村人たちのアヘン栽培依存を減少させた。国民の肥満症を案じた国王は、誰もが参加できる習慣的な運動を広めるため、毎日夕方6時に国中の公園や広場などでエアロビクスを実施している。

王室が人々の間で広く尊敬されると同時に高く評価されているため、タイ国民が王室の悪口を言う理由はあまり無い。イギリスや日本のロイヤルファミリーに見られるゴシップも無い。特に国王と王妃は文字通り神様のように崇められていると言っても過言ではないだろう。「現国王と仏教無しには今のタイは語れない」とも言われる。王室に対する無礼な言動が法によって禁じられているという事実があるにしても、この法律を自らの意志で犯すタイ人はまず見かけることがない。国王の肖像をかたどる物は全て神聖なもの(またはそれに近いもの)とされ、それにはもちろん印刷物とタイの紙幣も含まれる。例えばインドやアメリカでは破れたりすり減ったりボロボロになったお札が多いが、タイ人がお札を粗末に扱うことはない。タイの紙幣とコインは、その全てに国王や王妃の肖像が描かれているため常に丁重に扱われるのである。あるタイ人の男性に10バートコインの女性は誰だと尋ねると、彼は愛情をこめて大声で答えた。「あの方は私の王妃様です!」
このタイ王国を訪れるたびに、私たちはタイの文化の複雑さを感じさせられると同時に、少しずつではあるがより多くを学んでいるとも思う。この一週間の間に、私たちは幸いにも近所に滞在しながらタイの言語、文化、歴史を研究している人たちに出会うことが出来た。蒸し暑い夜遅く、一緒に飲みながら聞く彼らの話は、この国の習慣や伝統の知識に富んでいて非常に興味深い。

例えば、タイ人の友達には絶対に刃物類の贈り物をあげてはならないという習慣を学んだ。刃物は友情関係を断ち切るという意味があるそうだ。もっとも、それを意図する場合は仕方がないことだが。赤インクで手紙を書いてはならない。赤い文字は死者に送るものだからだ。挨拶にも見ただけでは分からない複雑なルールがある。タイの人々は合掌して挨拶をすることがあるが、相手と場合によっては相手に身の狭い思いをさせてしまうことになってしまう。従って、我々外来者は勝手構わずそのような挨拶することをせず、相手のタイ人が合掌したときのみそれに合わせて挨拶を返すのがいいだろう。または、外来者は外来者らしくいつものように挨拶をする方がいいのかも知れない。
ある日の午後、私は町中の混んだ歩道を歩いていたのだが、そのとき一人の男の子が目の前に飛び出してきた。私はその子の背後に位置していて、誰かが後ろにいるという意味でその子の頭に手を当てて彼の注意を誘った。頭に見知らぬ人の手を感じた子供はいかがわしい表情で私を見た。タイでは他人の頭を触れるのはタブーである。頭部は身体の中では最も尊い部分とされ、生命力が宿る場所と考えられているからだ。またある日、ミシガンから初めてアジアを訪れたという若者がレストランで足を組んで座り、裸足の足の裏を無意識にウエイトレスに向けていたことがあった。それを見たウエイトレスの表情は即座にこわばり、足が向いていた方向から早足で去っていった。尊いとされる頭に対して足は不浄。それを人に向けるのは失礼だし、さらに僧や仏像に足をむけることは完全な非礼となる。
この他にもタイ文化のユニークな特徴がいろいろある。タイでは異性に興味を持たない男性に対する人々の姿勢が非常に大らかで、差別は全くないと言っていい。私たちが泊まっているゲストハウスの傍には技術系の大学があり、平日はその一帯が大勢の生徒で混雑する。道ばたの屋台に仲間同士集まって座り、パッドタイやサテーを食べジュースを飲みながら話し合っている光景はこの近所の日常だ。それに混じってコーヒーを飲んだり食事をしながら男女混じり合って雑談している学生たちを見ると、女装している男の子が多いのが目立つ。東南アジア系の細身にぴったりとした女学生の制服を着て少々化粧もしている。男だと分かるのはハイヒールのサイズが大きいことや手の大きさによるくらいなものだ。「カトイ」と呼ばれる女装男性たちは、タイのエンターテイメントの世界では長年の間築き上げられてきた確固たる存在で、人々の間では広く受け入れられている。これらの若い男性たちはそのオープンで大らかな環境の中で自由に自己表現できるのだ。

タイは、今までに繰り返し訪れてきたという個人的な理由で私たちにとってはユニークな存在だ。インドから帰還した今回の入国を含めるとこれで5回目、来るたびにこの国とその文化について少しずつ知識を深めていると感じている。新たに知る情報は、それぞれがいかに些細なものであっても、この国だけではなくいかなる文化について常に何か新しいことを学ぶことが出来るものなのだというむしろ当たり前のような教訓を想い出させてくれる。この事は、どんなカルチャーを知る上でも常に目と心を開いていなければならないということでもある。この単純な事実は、おそらく文化を学ぶという行為の原則なのだろうと思っている。
Posted by taro at 2005年02月12日 16:36たろうさん
おひさしぶりです
インド、ハンピでお会いしたはるです、ってさっきメールしたんですけどね。。。
タイ、やはりまた行きたくなってしまいます
写真やタイについての文章に触れてしまうと
ちなみに皆が踊っているその公園
カオサン奥の寺のその奥の川沿いの公園
俺も同じところでみんなと踊りくるいました
なつかしいです
