2005年02月17日
来て良かった

旅先として考えるミャンマーという国は困惑と議論に満ちた国である。マスコミはこの国について独裁的で全てを牛耳る軍事政権や、民主化運動の功績でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スウ・チー氏の勇気ある活動、人権損害の行為、さらに充満する腐敗などを取り上げている。インターネットの掲示板や著名ガイドブックでは「ミャンマーを訪れるべきか、否か?」についてその長所と短所が繰り返し討論され、分析されている。これについての私たちの考えは、「何とも言えない。が、私たちは自分の目でそれを確かめ、自分自身の意見を構築したい」である。今、私たちはミャンマーにいる。そして、到着直後の印象が様々な形で私たちの中に生まれ始めている。
ヤンゴン国際空港での入国手続きは至ってスムーズだった。移民局の担当員はビザをチェックしただけでパスポートにスタンプを押し、税関のオフィサーは荷物の点検もせずただ笑顔で私たちをこの国に迎え入れてくれた。この旅に出発する前にアメリカの友人たちはパソコンの持ち込みに関しては気をつけろと言ってくれたのだが、彼らのアドバイスは過去のものでパソコンやビデオカメラ、その他の電気製品の持ち込みに関する制限は暫く前に解除されていた。

入国して直後に出くわした難点は換金だった。現地の通貨はKyat(「チャット」と発音する)だが、訪問者の立場ではミャンマー国内どこでもこのチャットがアメリカドルと併用されている点で、いつどれを使うかに悩まされることになるのである。ドルからチャットへの換金レートは銀行やブラックマーケットなどによって異常とも思えるほど異なる。空港にある正式な銀行では1ドルあたり450チャットがレートだが、ブラックマーケットでは1ドルが900チャットと二倍にもなる。さらに、一度チャットに換金してしまうと再びドルへ戻すことはほぼ不可能で、ミャンマーの外ではチャットは無価値同然なのだ。それに輪を掛けるように面倒なのが新しいデザインの100ドル紙幣による換金レートは最高で、50ドル札ではレートが下がり、それ以下の紙幣のレートはさらに低くなってしまうことだ。換金に使えるドル札のコンディションは新しくしかも完璧でなければならず(古いドル紙幣はコンディションが良くても換金レートは低くなる)、ちょっとでも破れていたり、表面が剥げていたり、しわが多かったりすると受け入れてはくれない。ジョージ・ワシントンの顔がちょっとだけかすれていた私たちのドル札も拒否されてしまった。
ホテル、アップスケールのレストラン、観光客のための商店などでは値段の表示が全てドルで書かれている。ホテルや商店の中にはドルをチャットに換算した上で(もちろん、外来者に不利なレートで)支払うことは可能だが、航空券やバスチケットを購入する際はドルしか使えない。その結果、私たちは換金という馬鹿馬鹿しいゲームに巻き込まれ、いくら換金すべきかや出国前にやたらと多額のチャットは持っていたくないなどでイライラすることになる。

この意味不明な換金ゲームにもかかわらず、ミャンマーの首都ヤンゴンは、伝統的な価値観や多様な文化、植民地時代の建物、そして現代的で洗練された要素が混在しながら全体的にゆったりとした印象を持ち、親しみやすく魅力多い都市だと感じた。大きな街であるにもかかわらず、雰囲気はエキゾチックだ。子供や女性は「タナカ」と呼ばれるサンダルウッド(白檀)のような木の粉を水に溶かして顔に塗っている。この濃い肌色の塗料を頬や額にさまざまなトライバルデザインで描いているのだ。紫やオレンジ色のランの花が菩提樹の幹の間から顔を覗かせる。男たちは「ロンギー」というチェックパターンの布をズボン代わりに腰に巻き、ベテルナッツを噛み、「チェルーツ」という名の葉巻を吸う。

どっしりとした方形の基礎から鐘の形をした黄金色の仏塔、ゼディが雲ひとつ無い青空にそびえ、午後の厳しい日差しを受けてギラギラと反射させている。そんな仏塔の中でも最大、最も聖なる寺院とされるシュウェダゴン・パヤは市内のいたる場所からもその神々しく瞑想的で魔法のような姿を望むことが出来る。夕日の光りの中で、その巨大な仏塔のシルエットが街の風景の中に浮かび上がる。ミャンマーの人々の大半は信仰厚い仏教徒である。そのことは知っていたのだが、市内には意外に多くのモスクも見られる。一日を通じて比較的静かな時間にはモスクからの祈りの声も聞こえるが、音量はインドで聞いたものほどは高くはなく、日中には騒音で掻き消されてしまう。この街にはその他にもヒンズー寺院やキリスト教会、カテドラルなども多くあるようだ。

茶店はどの道路や街角にもあり、一日中客足は絶えることがない。店によって朝早く開くものもあれば夜遅くまでやっているものもあるようだ。客たちは雑談をしたり、簡単な食事やスナックを食べるためにやって来て、低い木製かプラスチックのテーブルを囲んで座り、欠けた陶器の茶碗で茶をすすり、飲茶のような方法で豚まん、あんまん、春巻き、ジャムサンド、麺、餅米とココナッツのミックスなどを食べる。通常、彼らが注文するのは濃い紅茶かコーヒーをコンデンスミルクで甘くしたものだ。薄目のウーロン茶は魔法瓶に入れて全てのテーブルに置いてあり、客は何かを注文しさえすればそこからいくらでもウーロン茶を飲むことが出来る。アメリカドルでわずか50セント払えば二人が紅茶二杯ずつと満腹になるまで小品を味わえる。

ヤンゴンの中心街には現代的な高層ビルがいくつか立ち、ビジネスオフィス、ハイエンドのホテル、ブランド商品店、トレンディーなカフェがビルの中に点在している。ビルの周辺の歩道は穴ぼこだらけで、穴に足を踏み入れたりつまずかないように歩くのに一苦労する。乾燥期の道路は埃っぽいが、インドに比べるとゴミは目立たず、比較的きれいに維持されている。道路を走る車は自家用からバスにいたるまでその大半が日本から輸入された中古車である。それを見ていると滑稽でもあり懐かしくもある。私が子供の頃には新車だった小さなマツダが、数十年後にここヤンゴンでまだ庶民の足として活躍している。日本から輸入した後、再度ペイントすることはしないようで、どの車も日本のどの会社のものだったのか、どの地方で走っていたバスだったのかが分かる。故郷の京都で走っていた薄緑と深緑の市バスをこの街で何台も見かけたのには驚きもし、笑いもした。

ミャンマーは至って安全な国である。ヤンゴンの市内を歩き回っている間も、旅の途上で少なくとも持ち続けている警戒心や身の回りの注意といったものが、ここでは全く不必要に感じるくらいだ。見た限りでは私たちに対してはもちろんのこと、人々の間でも暴力らしきものは全く見当たらず、他の国ではどこでも見かける路上での白熱した口論さえない。市民の間ではある独特の平和さと穏やかさが普通のようである。政府は、世界への対面を保つために国民に外国人には優しく親切に振る舞うことを奨励しているという。言うまでもなく、政府は観光客が持ち込む金(つまりアメリカドルのことだが)を意識しているようだ。が、人々が漂わせる優しさは、なにも政府がお膳立てしたからだけではないと私は思う。彼らの笑顔はこわばったものでも皮一枚だけのものではなく、まだ観光ずれしていないごく自然で純粋なものだと感じる。
この国を訪れる他の訪問者たち同様、私たちはミャンマーの深刻な歴史を知っている。大英帝国による植民地時代、第二次大戦中の日本による侵略、戦後の混乱に満ちた不安定な内部情勢、世界中に知られることとなった軍事政権による独裁と民主化の否定。人権蹂躙の記録。腐敗したシステム。貧しさにあえぐ人々。ミャンマーの生活が困難であることは明白だ。が、人々の姿勢は前向きでその表情は明るい。私たちがここに来てからわずか二日ほどだが、人々からはこれらの困難を感じず、心地よい雰囲気を味わっている。予想していた全体的に厳正で堅いムードに反して、私たちは優しい微笑みと無垢な笑い声に囲まれている。世界世論を意識して、ミャンマーは少しずつ世界への扉を開きつつある。観光客が旅費として使う金は、10%の税金以外は人々の手に残るという。とすれば、このささやかな献金が、いつかは人々の経済的独立に貢献し、さらに政治的な独立にもつながってゆくものになるよう我々は望むばかりである。ミャンマーの外では、多くの矛盾を抱えるこの国を訪れるか否かで今日も意見が交わされているのだろう。しかし、今ここにいる私たちは来て良かったと正直に言える。
Posted by taro at 2005年02月17日 16:43太郎さん、今日ハガキが届きましたよ。
皆元気です。それぞれ夏の渡米に向けて
計画を練っている所です。
私は今の所未定。
これしかない!というイベントがまだないのです。
菩提樹の花は咲いていますか?
あのうっとりとするような匂いに
その場を動けなくなったことがありました。
もう2年も前のこと
築地本願寺の敷地内にあるのです。
ひとつひとつの花をよく見てみると
蓮の花の形をしているのです。
しばらくその花を眺めていたことを覚えています。
ミャンマーの夕暮れ時は
今私が望んでいるようなまったりとした
心地よい時間の流れなんですよね、きっと...
2人のステキな表情が浮かびます。
ミャンマーの人々の笑顔も
きっと魅力的なんでしょうね。
