2004年10月30日

ハウスボートにて

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カシミールに来てしまった。四季折々の自然と文化に恵まれるこの地域は、かつては「インドの冠」と呼ばれ、その美しさと軍事的な位置ゆえに紛争の舞台となってきた悲劇のヒロインのような所である。そんなカシミールに憧れてはいたが、実際にこの地へ足を踏み入れることは全く予期していなかった。それがある偶然でここジャムー・カシミール州の首都、スリナガルのダル湖に浮かぶハウスボートで滞在することになったのだ。

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ダル湖上でホテルとして機能するハウスボート(略して「HB」)は約2,500隻あると言われている。各HBは現地のハウスボート協会によって施設、サービスなどの観点からデラックス、A、B、Cの四段階にランクされている。私たちが宿泊しているHBは「HB Mantana」という名のデラックス級で外観、内装、サービス共に至れり尽くせり。私たちの部屋は今年6月に滞在したベルリンのアパート以来の豪華版である。

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面白いのはこれらHBの名前で、もっともなものから笑えるものまでバラエティーに富んでいる。「Crown of India(インドの冠)」や「Heaven of Kashmir(カシミールの天国)」は当然のネーミングだ。「Sunflower(ひまわり)」や「Morning Glory(アサガオ)」などの花の名前。世界各国の地名も頻繁に使われる。やはりイギリスやオーストラリアなどからの訪問客が多いのだろうか、「Buckingham Palace(バッキンガム宮殿)」、「New Australia(ニュー・オーストラリア)、「New Sydney(ニュー・シドニー)」などもあるが、よく知られてはいてもこの土地には似つかない「Hollywood(ハリウッド)」、「Chicago(シカゴ)」、「Bangkok(バンコック)」、果ては「Texas(テキサス)」まである。同系列の名も笑える。「Mona Lisa(モナリサ)」とその姉妹店の「Young Mona Lisa(若いモナリサ)」があったり、幅広く経営されているものとしては「Dawn(夜明け)」、「New Dawn(新たな夜明け)」、「Happy Dawn(幸せな夜明け)」、「Lucky Dawn(ラッキーな夜明け)」。「Apollo Eight(アポロ8号)」と「Neil Armstrong(ニール・アームストロング)」のコンビは実に楽しい。日本のラブホテルの名前のようだと言えばそうかも知れない。

ダル湖はそれ程深くはなく、冬と悪天候以外は強風が吹かないため、湖面は大変なめらかで鏡のようだ。HBからシカーラでスリナガルを囲む山々の景観が水面に映えるのを見たり、湖上の船や島に住む人々の生活を垣間見たりするのもこの土地の文化と生活を知る楽しみのひとつだろう。

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カシミールの観光シーズンは夏だが、モーターボートや水上スキーもいない秋深まる静かなダル湖とスリナガルを、私たちはHBとシカーラでゆったりと味わった。寒い夜が明け太陽が湖面に当たる頃、水面や霜が降りた畑から湯気が立ち上ってミステリアスな雰囲気を演出する。ここ数年のような安定した情勢下であれば、誰もがユニークな体験を望める場所だと思う。

Posted by taro at 17:37 | Comments (1)

2004年10月26日

インドへ

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「デリーは酷い所だ。」これまでの旅の間に出会ったトラベラーたちから何度もそう聞かされていた。インドへの旅立ちが近づくにつれ、私たちの間には緊張感が漂い始めた。そして今デリーに居るわけなのだが、実際に来てみるとそれ程酷い所だとは思えないのである。デリーは今まで訪れた街とは確実に異なっているけれど、多々ある相違点は必ずしもネガティブではない。

デリーでの最初の数日間宿泊する予定のゲストハウスはバンコックのインターネットカフェから予約した。アメリカに住むインド人の友人や同僚たちのアドバイスを考慮して、空港からゲストハウスまでの送迎車も予約しておいた。早朝6時の到着だったにもかかわらず、私たちは問題なくチェックインして仮眠を摂ることが出来た。もっとも、このゲストハウスは監獄のような3メートル四方足らずの部屋で、窓はなく、バストイレも機能していなかった。とても満足できるものではなかったため、翌日早々に宿を換えることにした。

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午後から夜にかけて私たちはそのゲストハウスがあるコナウト・プレイス(セントラルパーク)周辺を歩き回った。市内でもよく知られる円状のショッピング街だ。歩いているだけで実に多くの人々が声をかけてくる。そのほとんどは私たちに何かを買わせたい人たちなのだが、今のところ「ノー」と言い続ければ問題なく立ち去ってくれる。物乞いについても同じだ。「信用できる旅行会社」を紹介してあげようと言い寄ってくる英語が上手い若者たちも同様。モンゴルや中国ではもっと手を焼いたのを思い出したほどだ。

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食事については、これも中国で会得したルールを応用してレストランを選べばそれ程悪いことにはならないだろう。つまり比較的清潔で、照明が明るく、多くの人々が食事していて、しかも予算に見合うような所だ。コナウト・プレイスや二軒目のホテルがあるパハルガンジ一帯を少し歩くとそのようなレストランは案外簡単に見つかった。私たちは早速シリコンバレーでも頻繁に食べる「インド人のためのインド料理」を味わった。

もしアメリカから直接ここに来たのなら、私たちはこの街に圧倒されて第一印象ももっと違ったものだったかも知れない。それとも、多くのインド人が住むシリコンバレーである程度の予備知識を得ていたのだろうか。バックパッカーではない私たちが、出来るだけの準備を整えたからだろうか。特に空港での出迎えを予約したのは正解だった。ともかく、私たちは意外にもすんなりデリーに入り込めたと言えるだろう。

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同時にインドがそれだけの国ではないことは明白だ。私たちの目が飛び出て開いた口が塞がらない経験が待ち受けているはずなのだ。オールド・デリーの赤い砦周辺に広がる商店街を歩いただけでもそれは確認できた。デリーはそんな経験に満ちた三ヶ月の出発点なのである。

Posted by taro at 17:31 | Comments (1)

2004年10月12日

シーズン前

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観光シーズンを迎えようとしているコ・ランタ(ランタ島)では未だに雨が多い。この島は、リゾート地として有名なプーケットやピピ島の南、クラビ県に位置する。島の西側は砂浜が多く、ビーチに沿ってリゾートホテルやカジュアルなバンガローが建ち並んでいるが、ハイシーズンではないせいか今のところひっそりとしている。東側には砂浜は無く、マングローブが水辺まで生える海岸線が主で、小さな漁村が点在する。その中で最も大きな村がオールド・タウン・ランタと呼ばれる集落で、私たちはそこに住む友人を訪れることにした。

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ここでのハイシーズンは毎年11月から5月。西側ではシーズンを前にホテルやバンガローの改築、増築、修理などで忙しい。雨期の盛りはそのような仕事は全くはかどらず、シーズンに入ってしまうと接客に追われるため、多少雨は降るが晴れる時間もあるという今が準備期間なのだ。東側に住む漁民たちには観光のハイシーズンなどは無く、今はただ雨期だというだけだが、彼らも家の修理や改築に忙しい。この時期風が吹く方角は一定しておらず、雷雨やスコールはいろんな方角からやって来る。早朝から午後の早い時刻は何とか晴れるが、午後から夜にかけての天気は不安定になる。

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オールド・タウンの夕暮れのひととき。雨雲がどこからか近づいて来て(あるいは雷雨が去った後に)夕日に照らされると、身の回りのもの全てが暗いオレンジ色に映える。雲はもちろん、海や他の島々、水際に立つマングローブの木々、人々の顔、山を覆うゴムの木やココナッツ、バナナ、マンゴーなどの葉、村の家々、そして熱帯の空気までがこの色に染まっているかのように見える。山の麓の森からはカエルや虫の声が聞こえ始める。

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島の西側での夕日は素晴らしい。雲の無い夕日も素晴らしいだろうが雲が多いときの夕焼けは、文字通り天に火が点いて燃えているような光景を演出する。私たちの目は沈む太陽そのものよりも夕日に映える雲を追い、そこにくり広げられる黄金のドラマに言葉を失ってしまう。砂浜近くに住む漁師たちは、ちょうどその頃になると夜の漁を求めて船を出す。沖を目指す彼らの船のシルエットがオレンジと赤の間にわずかに見え、そして島は夜を迎える。

雨期について島に住む人々はまんざらでもないようで「涼しい時期だ」と言ってむしろ嬉しそうだった。島を走る道路がぬかるんで車やオートバイの運転は困難になるが。私たちにとってもこれらの光景はちょっとした拾いものだったかも知れない。寝て食う以外に何かする事があれば(私たちの場合はフュージョン・ジャーナル第二号の編集だった)、常夏の島の雨期も悪くはない。

Posted by taro at 17:43 | Comments (2)

2004年10月06日

カオサン・ロードの今

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カオサン・ロード。タイを訪れるトラベラーなら必ず一度は行くバンコックのスポットである。タイへ行ったことがない人も、アレックス・ガーランドの小説、「ザ・ビーチ」や、その映画化でレオナード・デカプリオ主演のハリウッド映画「ビーチ」のロケーションとしてご存じかも知れない。この通りはほんの2ブロックほどの短いもので、昼間は二車線の車道が走っており、夕方には歩行者天国となって街路そのものがクラブ化する。

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道の両側にはホテル、ゲストハウス、レストラン、クラブ、コンビニ、土産店、旅行代理店、インターネットカフェ、本屋など、ありとあらゆるトラベラー対象のビジネスがぎっしりと建ち並んでいる。さらに土産物、食べ物、ドリンクを売る屋台が車道にまで溢れていて、その間を主に欧米人と日本人の旅行者たちが忙しく動き回っている。カオサンだけではなく、その周囲一帯も同じような様相だ。

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以前、この場所は東南アジアやインドを旅する人々の休息地であり、情報交換の場であり、さらに必需品を補給する場所だった。いわば、バックパッカー天国であった。今は数日間のバケーションをタイで楽しむ旅行者たちがバンコック滞在の間に買い物やパーティーを楽しむ観光地であるという印象が強い。幸い今の所は団体客がバスで押し寄せることは無い。

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この通りを闊歩する人々の多くはパックパッカー風にタイ、インド、ネパールのファッションとアクセサリーを身につけていて、見た目には観光客とバックパッカーの区別がつかない。彼らの本国では着るチャンスがまず無いようなフィッシャーマンズパンツ(タイの漁師が着るパンツ)は、カオサン・ロードでは定番中の定番で、まるでユニフォームのようだ。屋台でタイフードを買い、ビルの石段にずらりと並んで座って夕食を楽しむトラベラーのほぼ全員が色とりどりのフィッシャーマンズパンツを穿いている光景は珍しくない。ただ、今やここに集う人々の大半を占めるバケーショナーたちはどこかこざっぱりと清潔だ。

最近の変化を嘆くバックパッカーたちも居るだろうが、私は過去への執着は感じない。以前に比べて仲間同士、恋人同士で遊びに来ている現地のタイ人の若者たちが非常に多くなったのが目立つ。タイの人々はあくまでも観光客相手に商売する立場、欧米人や日本人は客、という方程式が一掃され対等に近い交流の場が生まれつつあるように思う。

Posted by taro at 21:39 | Comments (0)

2004年10月01日

バンコックの笑顔

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タイは多くのトラベラーが訪れるだけでなく、周囲の国々を旅する人々にとって休息の一時を提供する所でもある。その理由には他国との交通が整っていることや、タイ国内での旅の便利さ、文化などもあるだろうが、タイの人々が生み出すある種の安心感が旅人を引き寄せているように思えてならない。昆明からわずか二時間弱でバンコックに到着した私たちは、瞬時にして肩の力が和らぐのを感じた。

この旅のオリジナルプランでは、この時期ここバンコックに来ることは計画してはいなかった。チベットからヒマラヤ越えでネパールに入り、さらに南下してインドへ向かう予定だった。ネパールには1999年に訪れて素晴らしい体験を得ることが出来たのだが、ネパールの不安定な情勢がその時の思い出にも影を落とす可能性があることと、チベット入境時には中国?ネパール国境が閉鎖されていたことなどから予定を変更、タイで一ヶ月過ごすことにしたのである。

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バンコックに来たのはこれで四回目。最初は1996年、そして前回は五年前、ネパールからアメリカへ帰国する途上で一週間滞在した。そして今回、この街を徒歩やバスで回って感じたのは、バンコックは今やワールドクラスの都市に成長したという確信だった。

以前は真っ黒な噴煙をまき散らしながら走っていたタクシーやトゥクトゥク(三輪バイクタクシー)やトラックは、今は条例によって新しいマフラーの使用が義務づけられ、歩いていてもそれ程苦にならない。タクシーはほとんどが新しい車種でしかも冷房完備。以前は本物のブランド商品を売る店は少なく、しかもタイ人の客はごく稀だった。現地の人々は主に氾濫するブランド銘柄の海賊版を買っていた。今回驚いたのはショッピングセンターに本物のブランド商品が並び、一般のバンコック市民が客層を占めていることだ。(コピー商品が無くなったというわけでは決してないが。)

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そしてビルの現代化と高層化は今も着々と進んでいる。街の衛生状況は向上しており、先日まで居た中国の主要都市に比べても明らかに勝っている。交通渋滞は相変わらずだが、前回は工事中だったBTSが走り、今年の八月には地下鉄も開通した。もちろん発展途上国と呼ばれる国の特徴も残ってはいるが、今はむしろそれが愛嬌のようにも感じてしまう。

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しかしこの都市開発がもたらした変化は、現在世界中で行われている都市の現代化に比べると必ずしも急激なものではない。バンコックの場合、その変化はゆっくりと時間をかけて向上している印象がある。これは私たちが持つある種の偏見であろうか。そして何よりも現代化に伴うストレス度の上昇によって人々の顔が緊迫した頑なな表情に変わることはなく、このコスモポリタンに住むタイの人々は今も大きく、ゆったりとした笑顔を見せてくれるのである。今後、さらに現代化してゆく間も、タイの大きな魅力であるこの吸い込まれるような笑顔だけは残って欲しいと私たちは望んでいる。

Posted by taro at 00:51 | Comments (3)

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