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  <title>グローバル フュージョン</title>
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  <modified>2005-09-24T17:55:26Z</modified>
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    <title>ホーム・アウェイ・フロム・ホーム</title>
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    <modified>2005-09-24T17:55:26Z</modified>
    <issued>2005-09-25T01:55:26+07:00</issued>
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    <created>2005-09-24T17:55:26Z</created>
    <summary type="text/plain"> 「Home away from home（ホーム・アウェイ・フロム・ホーム）というフレーズがある。「ホーム」がただひとつしかない自分の「家」だとすれば、「ホーム・アウェイ・フロム・ホーム」は、自分が住む家ではないものの、それと同じくらい心地よく、リラックス出来、馴染み深い場所を意味し、誉め言葉として使われる。日本は、同時に、私が住む北カリフォルニアから遠く離れた祖国でもある。私の故郷、京都に着いた９月１５日以来この２週間というもの、「ホーム」という言葉に包含されるこれらふたつの意味は、実は、今のところはっきりと感じられないというのが正直な感想であると言わねばならない。...</summary>
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    <dc:subject>日本</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="092505_neighborhood.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/092505_neighborhood.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">「Home away from home（ホーム・アウェイ・フロム・ホーム）というフレーズがある。「ホーム」がただひとつしかない自分の「家」だとすれば、「ホーム・アウェイ・フロム・ホーム」は、自分が住む家ではないものの、それと同じくらい心地よく、リラックス出来、馴染み深い場所を意味し、誉め言葉として使われる。日本は、同時に、私が住む北カリフォルニアから遠く離れた祖国でもある。私の故郷、京都に着いた９月１５日以来この２週間というもの、「ホーム」という言葉に包含されるこれらふたつの意味は、実は、今のところはっきりと感じられないというのが正直な感想であると言わねばならない。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>アメリカに移民してから２８年間、日本へは幾度も来るには来たが、いつも１週間から２週間だけだった。今回の滞在は４ヶ月だ。これは、この地で何らかの形で生活をすることを意味する。どこに長期滞在するのも同じなのだが、日本でのテンポラリーな生活を基礎づける上でいろいろやらなければならないことがある。日本での一時的生活と他の国でのそれとの違いは、ここが、私が生まれ育った国であることだ。言語バリアーは無い。その反面、私は右も左も分からないという奇妙な状況に身を置くことになっている。電話線を引くにはどうすればいいか？インターネット接続を設置するには誰に連絡すればいいのか？京都の町中に出るにはどの駅でどの電車に乗り換えるのか？「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の定義はどんなものなのか？どんな携帯電話サービスのブランドがあり、どんなサービスがあるのか？</p>

<p><img alt="092505_organicmarket.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/092505_organicmarket.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">私たちの食生活における変化も大きい。有機農法によって栽培された新鮮な野菜や果物が当たり前のように、容易に手に入る北カリフォルニアと異なり、そのような食材はここでは容易に見つからない。日本食を料理することには問題はないとしても、レパートリーの数は少ない。菜食主義者にとって、魚はオッケーだとしてもここでの外食は困難だ。さらに、感覚的そして現実的にも日本で外食する場合のコストは高い。一般に、生活費はかなり高いと感じている。日本の公共交通システムは素晴らしいし、世界的にも最先端である。車社会の悩みを熟知しているつもりの私たちとしては、出来る限りそんな公共交通システムを使いたいとも思うのだが、滞在している場所から京都や大阪へ出る度にかなりの出費をしなければならない、と感じてしまうのである。半日街へ出てみたり、雑用を済ませるために出かけると、交通費だけでも二人で合わせて２千円（アメリカドルで約２０ドル）必要となる。近年アメリカ国内でのガソリン代は高騰しているが、セダン車を満タンにするのに３０ドルから３５ドルかかる。それを「べらぼうな値段だ」と嘆くような金銭感覚を持つ私たちにとって、日本の電車や地下鉄の運賃がいかに高く感じられるかを理解して頂けるだろうか。</p></p>

<p><img alt="092505_trains.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/092505_trains.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">私たちが住んでいるビルには５０世帯以上が居住している。そしてこのビルは数十もの同じような建物群のひとつにしか過ぎない。僅か徒歩３分で最寄りの駅があるのだが、その駅の東側にこれらのマンションやアパートビルが、まるでドミノのように連立している。高速道路とそれからの出口、ショッピングセンターやスーパー、コンビニ、レストラン、アスレチッククラブ、そしてその他郊外都市での生活で一般に見られるさまざまなもの（もちろん、常に客でにぎわうマクドナルドやケンタッキーを含む）が、歩いて行ける距離範囲内に存在している。この１３階から望めるそんな景色の中には、駅の西側に広がる田んぼもある。ちょうど緑から黄色へと変わりつつある田んぼは、宇治川へと広がり、私たちの目にはリフレッシングなものとして映る。</p></p>

<p>現時点では、日本での生活がどのようなものになるのか、少々考えあぐねている。一年間旅をした経験があるんだ、今のような状況もあったんだ、と自分達に言い聞かせる一方で、日本は私のホームでもある。グローバル・フュージョンというプロジェクトを実行する間、私は日本人としてのアイデンティティーを再確認したのではなかったか。それならば、この不安定さ、馴染み薄さ、浮いてしまっているという感覚は何なのだ？だから、今回の滞在における目標は、１９７８年以来不在だったことから何とかして抜け出して、新しい目で日本を見直せることだ。今までの数々の旅で、いつもどこでもそうしていたように。同時に、母国での時間を心から楽しみたい、とも思っている。</p>]]>
    </content>
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    <title>あれから１０年</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000139.html" />
    <modified>2005-04-16T06:46:33Z</modified>
    <issued>2005-04-16T14:46:33+07:00</issued>
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    <created>2005-04-16T06:46:33Z</created>
    <summary type="text/plain"> 私たちにとってバリは特別な意味を持つところだ。１９９４年１０月、ハネムーンで始めて来たのがここだった。二人でアメリカの外を旅したのもそのときが初めてだった。あの頃、デンパサールは中堅の町で、ウブドには小さな村の雰囲気が漂っていた。あまりにも変わったバリの様子に、今回私たちが到着したときの印象は知らない町に迷い込んだときのそれと同じだった。ウブドは、しかし、バリ文化の中心地であり続けていたし、バリの人々にとっては今も重要な地位を占めている。そして１０年間を経た今もこの町は田んぼに囲まれていて、そのことが初めて訪れたときの様子を思い出させる要因となった。...</summary>
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    <dc:subject>インドネシア</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="04_16_mountains.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_16_mountains.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">私たちにとってバリは特別な意味を持つところだ。１９９４年１０月、ハネムーンで始めて来たのがここだった。二人でアメリカの外を旅したのもそのときが初めてだった。あの頃、デンパサールは中堅の町で、ウブドには小さな村の雰囲気が漂っていた。あまりにも変わったバリの様子に、今回私たちが到着したときの印象は知らない町に迷い込んだときのそれと同じだった。ウブドは、しかし、バリ文化の中心地であり続けていたし、バリの人々にとっては今も重要な地位を占めている。そして１０年間を経た今もこの町は田んぼに囲まれていて、そのことが初めて訪れたときの様子を思い出させる要因となった。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="04_16_kites.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_16_kites.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">これから１ヶ月滞在するのは今は忙しい町となったウブドの直ぐ外にあるロトゥンドーという村で、そこにある一軒の家を借りることにした。ウブドが車やオートバイの往来、人、レストラン、商店で混雑するかたわら、ロトゥンドーは有名な観光地の陰にひっそりと在る。借りた家の「裏庭」は真西に向かっていて、そこには田んぼが広がり、その背後にはココナッツの木々、はるか彼方にはバタカウとポホンの山々がそびえている。水田にはすでに水が引かれ、１年に３回行われるという耕作の準備が整っている。田植えが始まるのはもうすぐだ。</p></p>

<p><img alt="04_16_sunset.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_16_sunset.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">沈む太陽と雲が夕暮れの色を鮮やかに織りなし、ココナッツの暗いシルエットと共に鏡のような水田の表面に投影されて幻想的な景色を提供してくれる。このドラマチックなパノラマは毎日見逃せない景観となった。水田のほぼ中心にはバリ独特の米の神を祀る神社がエメラルドグリーンの島のように浮かんで見える。日が沈み、その後光も消えようとする頃、アジアの多くの場所で縁起がいい動物とされるコウモリと、その日最後のえさを追うツバメとが同時に田んぼの上を飛び交い、見分けがつかない。この環境に見られる昆虫の多様さと多彩なことには驚かされる。巨大なハチ、細小のアリ、鮮やかな色の甲虫、大きな模様を誇らしげに広げる蛾、虹のような光沢に輝く蝶、さまざまな色のトンボ、そして懐かしい子供の頃を思い出させるホタル。南半球独特の星座が夜の空に広がり、見慣れないミステリアスな美しさできらめく。</p></p>

<p><img alt="04_16_plowing.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_16_plowing.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">バリは今ちょうど雨期を終えようとしているところだ。日中は蒸し暑いが、午後から夜にかけて短い雨が降って涼しくなるのが有り難い。雨と雲が熱帯の色彩をより強調するようで、素晴らしい景色が力強く目に飛び込んでくる。この天気のパターンは、今まで旅をした東南アジアが全般的に乾期であり、乾燥した猛暑と靄がかった白っぽい空を見慣れた私たちにとっては新鮮な変化だった。半年近く青空が広がるカリフォルニアからの変化でもあるのだろうか。私たちはここで雲が与える景色のムードがいかに偉大なものかを改めて感じさせられた。</p></p>

<p><img alt="04_16_dancers.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_16_dancers.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ウブドという町は文化の中心地であるだけにさまざまな伝統芸能の中心地ともなっている。観光客たちは町の至る所で行われる芸能を見ることが出来、その多くはバリ独特の建築様式による建物を背景とした南国ムードたっぷりのガーデンで行われる。これらの芸能は、しかし、ヒンズー教の式典の一部として現地の人々が参拝する寺院内で彼ら自身のためにも行われている芸能であり、その全ては神聖な儀式とされることを訪れる人々は知っておくべきだろう。演劇、舞踏、音楽のテーマはほぼ全てがヒンズーの神話、ラーマヤーナを題材となっている。バリの宗教生活の基本を成すのは、これらのヒンズー要素が古来この島に伝わるアニミズムと混じり合って生まれた独特の信仰だ。</p></p>

<p>伝統芸術に加え、この町ではコンテンポラリーアート、特に絵画、彫刻、ジュエリーデザインの分野で盛り上がっている。多くのバリ人と欧米人のアーティストたちがウブドの町とその近郊に居を構え、クリエイトし、その作品を展示している。町の中には注目すべき美術館もいくつかある。アジアのアートシーンはバリで生まれる芸術作品に注目し、コレクターはアジアのみならず世界各地に広がる。</p>

<p>ウブドのメインロードは１０年前に訪れたときとは比べものにならないほど整備されている。あの頃は車も少なかったものの道はどこも埃っぽく、それに沿って土産物屋や換金ブースが所々にあったものだった。現在はスタイリッシュなレストラン、カフェ、ブティック、アクセサリーショップ、アートギャラリーがずらりと軒を並べている。これから数週間、この新しいウブドを探索する機会もあろう。</p>

<p>私たちにとって一番嬉しく感じられるのは、しかし、グローバル・フュージョンの最後の一月をロトゥンドーの水田に囲まれて過ごすことが出来ることだろうか。この場所で、私たちはもうすぐ終わろうとしているこの素晴らしい１年間の旅を振り返るかも知れない。あるいは、ただ田んぼの端っこに座って稲が育つのをぼんやりと見守るだろうか。</p>]]>
    </content>
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    <title>新年水掛祭り</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000137.html" />
    <modified>2005-04-13T07:22:06Z</modified>
    <issued>2005-04-13T15:22:06+07:00</issued>
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    <created>2005-04-13T07:22:06Z</created>
    <summary type="text/plain"> タイの４月は夏の到来と共に新年も迎える。新年の行事は「ソングクラン」と呼ばれ、３日間の祝いに国中が沸き立つ。この休日の間、タイの人々は寺院に参拝して健康と商売繁盛を祈り、家族や友人たちと過ごし、旧年の罪を国中で行われる水掛祭りで祝う。お互いに水を掛け合い、タルカムパウダーのペーストを顔に塗り合うのが習慣だ。街を歩くだけで全身びしょ濡れになるのは当たり前だが、一年を通じて最も暑いシーズンにふさわしく、汗を流し涼むことが出来る点では歓迎すべきことだろう。...</summary>
    <author>
      <name>taro</name>
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    <dc:subject>タイ</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="04_13_aim.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_aim.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">タイの４月は夏の到来と共に新年も迎える。新年の行事は「ソングクラン」と呼ばれ、３日間の祝いに国中が沸き立つ。この休日の間、タイの人々は寺院に参拝して健康と商売繁盛を祈り、家族や友人たちと過ごし、旧年の罪を国中で行われる水掛祭りで祝う。お互いに水を掛け合い、タルカムパウダーのペーストを顔に塗り合うのが習慣だ。街を歩くだけで全身びしょ濡れになるのは当たり前だが、一年を通じて最も暑いシーズンにふさわしく、汗を流し涼むことが出来る点では歓迎すべきことだろう。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>国中で水を掛け合いながら新年を祝う習慣はここタイだけではなくラオス、ミャンマー、カンボジアなど、主に仏教国で広く見られるものだ。まず寺院に参拝し、家族と静かな一時を過ごした後は皆が水掛けに熱中する。私たちにとってすでに親しみ深くなったバンコック市内このご近所もその例外ではない。</p>

<p><img alt="04_13_running.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_running.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">水鉄砲はソングクランの初日である４月１３日の数週間前からすでに商店に出回り始める。子供たちはその初日を心待ちにしていた。大人たちも自ら参加し、路上に大きなバケツを並べて水で満たし氷を入れて「攻撃準備態勢」を整える。そして友人や近所の顔なじみがいつ訪れてもいいように、大量の食べ物と飲み物を用意する。</p></p>

<p><img alt="04_13_naga.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_naga.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">バンガルンプー街の中心にそびえる戦勝記念碑ではバンコック市役所が照明、色彩、音楽で美しい装飾を施した噴水を設置していた。テーマは水の守護神である聖なる蛇、ナガ。大きな蓮の花がその周囲にあしらわれている。ファンファーレの音楽が大音量で鳴り響き、カラフルな照明が飛び交う中、噴水が全体に動きを加えて、新年を迎える準備に忙しいバンコックの人々を魅了する。彼らはスペクタクルを繰り広げる噴水の周囲に集まり、興奮を高まらせている。この他にもバンコックの至るところで市によってオーガナイズされたイベントが行われ、料理、舞踏、音楽などタイ伝統の文化を披露していた。</p></p>

<p><img alt="04_13_gottcha.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_gottcha.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">４月１３日の朝は静かに明けた。が、正午までには近所一帯が喜々とした叫び声と笑い声に満ち、人々は水戦争のまっただ中にあった。カラオケマシンが路上に置かれ、すでに酔いの回った若者たちがタイや欧米のポップソングを熱唱する。スピーカーを歩道に持ち出してヘビメタ、タイの民謡、ヒットソングなどを休むことなく大音量で流す連中もいる。この道路全体がありとあらゆる音で振動していた。蛇口からホースを引き、液体の砲弾を大きなバケツに詰め込んで補充は絶えることなく行う。その横にはいくつものテーブルに大量の食べ物とドリンクが置かれていた。</p></p>

<p><img alt="04_13_driveby.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_driveby.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">最初は誰もが例外なくずぶ濡れになるのだろうと思い、いつどこから氷で冷やした冷水を浴びるかと警戒したものだった。時間が経つにつれて路上の状況がかなりエスカレートするのではないかとも考えた。しかしタイ人はその点よく心得たもので、一見混乱した祝いの中でも基本的なルールだけは忘れることがなかった。安全なゲストハウスのダイニングエリアから見ていると、想像していたよりもはるかに礼儀正しくお互いを扱っている。お年寄りや僧たちには必ず合掌しながら新年の挨拶を送り、許可を得てから差し出された手の上に水を掛ける。水を掛けられた人の中には伝統的な新年の挨拶を感謝する者もいる。大騒ぎの中をバックパックを担いで到着したトラベラーたちも水をかぶることはなかった。もちろん、彼らがゲストハウスにチェックインして一息つくまでのことだが。水掛けとタルカムパウダーは路上だけのものであって、家の中や食べ物を売る屋台には影響を与えないこともわかった。</p></p>

<p><img alt="04_13_splash.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_13_splash.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">この近所の人々全てが水掛けに参加していた。他のご近所から「兵士」と「砲弾」をトラックの後ろに載せて攻撃に出るものもいる。ゆっくりと走るトラックが通るたびに大量の水が飛び交い、フレンドリーな応酬の中、路上は屈託のない笑顔と大きな笑い声で一杯になる。最初はただの傍観者だった私たちも我慢できず、水着に着替えて参戦した。ゲストハウスのスタッフ、いつも道の向かい側で料理を作ってくれる屋台の女の子たちを始め、通行人や見覚えのある近所の人たちと早速水を掛け合って瞬時にしてびしょ濡れになる。不意をつかれてタルカムパウダーを顔中に塗りたくられることもしばしばだ。淡い線香のような香りと肌に涼しい感触が嬉しい。近所をただ歩いている人たちも含め、いつしか皆が雨に濡れた部族集団のような様相を呈していた。タイに新年がやってきた。</p></p>]]>
    </content>
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    <title>砂塵の彼方へ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000135.html" />
    <modified>2005-04-04T13:31:33Z</modified>
    <issued>2005-04-04T21:31:33+07:00</issued>
    <id>tag:www.onelove.com,2005:/gfj_blog//3.135</id>
    <created>2005-04-04T13:31:33Z</created>
    <summary type="text/plain"> シエムリープの４月は耐え難い乾燥した猛暑に覆われていた。町の道路は埃っぽくて汚い。路上に住む子供たちがそれを如実に反映していた。赤ん坊を抱えた母親たちは観光客が集まるレストランの直ぐ前に立って小銭をせがむ。この町の人々は皆どこかとげのある態度を持っていた。暗い過去を背負った国が未だに漂わせるムードなのか、それとも継続的な貧困のせいなのか。４月を迎え、この町の観光シーズンは終わろうとしていて、高級ホテルの窓のほとんどに灯りが点ることはない。観光市場向けのサービスは欧米、日本対応の価格で高い。現地の人々が立ち寄る屋台さえもが外人用の値段表を用意している。私たちはこの町に着いたばかりなのだが、この町とはどうも相性が悪いようだ。...</summary>
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      <name>taro</name>
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    </author>
    <dc:subject>カンボジア</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://www.onelove.com/gfj_blog/">
      <![CDATA[<p><img alt="04_04_food.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_04_food.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">シエムリープの４月は耐え難い乾燥した猛暑に覆われていた。町の道路は埃っぽくて汚い。路上に住む子供たちがそれを如実に反映していた。赤ん坊を抱えた母親たちは観光客が集まるレストランの直ぐ前に立って小銭をせがむ。この町の人々は皆どこかとげのある態度を持っていた。暗い過去を背負った国が未だに漂わせるムードなのか、それとも継続的な貧困のせいなのか。４月を迎え、この町の観光シーズンは終わろうとしていて、高級ホテルの窓のほとんどに灯りが点ることはない。観光市場向けのサービスは欧米、日本対応の価格で高い。現地の人々が立ち寄る屋台さえもが外人用の値段表を用意している。私たちはこの町に着いたばかりなのだが、この町とはどうも相性が悪いようだ。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="04_04_angkor.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_04_angkor.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ここに来た理由はもちろん世界の７大驚異のひとつ、アンコール・ワットである。バンコックには幾度も訪れてきたにもかかわらず、タイの近隣国であるカンボジアまで足を延ばしたことはなかったが、今回ここを訪れることは私たちの計画中でも優先度の高い訪問だったのだ。バンコックからシエムリープへ向かうには飛行機で飛ぶのが簡単（お勧め！）だが、そうしなかった私たちにはここから再びバンコックへと戻る旅程を残しており、それを考えただけでも意気消沈するような、地獄のような行程でここへやって来たのである。</p></p>

<p>お世辞にも楽しいとは言えないバンコックからシエムリープへの旅は、しかし、安かった。片道５ドル以下なのだ。飛行機の場合は一人当たり往復２００ドルかかる。格安とあって時間のかかることと乗り心地の悪い点については天下一品だった。バンコックを発ってタイとカンボジアの国境町、ポイペットに着くまではタイの現代的なハイウエーのお陰で楽な旅だった。ドラえもんが大きく描かれたエアコン着きバスが、ナンバープレートの更新をしていなかったために警察に止められるというハプニングはあったものの、すんなり国境に到着。出発してから僅か５時間だった。</p>

<p><img alt="04_04_skulls.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_04_skulls.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">タイ出国、カンボジア入国の手続きは幸いにも１時間ほどで完了し、フレンドリーなタイ人の運転手にさよならを言ってカンボジアに入った。が、そこで全てががらりと変わる。カンボジア側の世話人は、理由もなく苛立ち、怒り心頭に走った男で、そんなにこの仕事が嫌ならさっさと辞めろと言いたくなった。その男は、聞き取りにくい英語を大声で喚き散らしながら、入国したわれわれ外人グループを集め、そして暫く待たせた後でシエムリープ行きのポンコツのミニバスに私たちを押し込んだ。ヘッドライトとブレーキが機能していたのが不幸中の幸いだった。道路は舗装工事を途中で辞めてしまったような酷い状態で、視界が常にブレ続け路上の土埃で呼吸が出来ない有様は正にモンゴルの悪夢の再現だったと言える。窓の外には広大で平坦な農期が終わった畑が延々と広がり、あると言えばほんのまばらに点在する農家と木が淋しそうに立っているだけだ。</p></p>

<p>一方、運転手は乗客の印象などに構ってはいない。彼（またはカンボジア側の旅行会社）の意図はシエムリープに可能な限り遅く着くことなのだ。出発して僅か１時間後には平原のただ中にあるレストランで停車し、彼は一時の仮眠と休憩をとる。その２時間後、小さな集落で再び停車。道路に面している全てのものが砂埃に分厚く覆われているような村だった。バスが止まると同時に若い女の子たちが絵葉書、フレンドシップ・ブレスレット、冷たい飲み物などを掲げて私たちを取り囲む。表面的には欧米人と楽しく英会話のレッスンを交わし、笑い声を上げる彼女たちだったが、何も売れないと分かるとその笑顔が歪むのも早かった。</p>

<p>シエムリープにようやく着いた頃には私たちは疲労困憊していた。１４時間の旅の終着点は、前もって話が付いているゲストハウスだった。疲労のあまりそこに泊まる乗客を想定してのことで、運転手のコミッション目当てが理由だ。一応部屋は見せてもらったが、案の定高いレートを理由に丁重にお断りして暗い町へと向かう。夜も９時を過ぎ、タイ側で昼食を食べてからは何も食べていない。長い旅の後、何も知らない町でその夜の宿を探すのは常に憂鬱なものだ。が、その一方でシエムリープの観光開発は過剰で選択肢には事欠かなかった。</p>

<p><img alt="04_04_school.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_04_school.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">何も良いところがないような町だが、そんなところでもほのかな希望はある。ここにはカマー・ルージュの虐殺を逃れた孤児や彼らの子供たちが集団生活するコミュニティーがある。町の郊外にはキリング・フィールド記念公園とそれを囲む寺院があり、それに寄り添いながら癒されているようにその集落はひっそりとたたずんでいた。そこに住む人々は貧しく、掘っ建て小屋に住みながらも、何とか生き抜こうとしているようだった。何千という地雷が今も武装解除され続けている国の現実だ。ここでは、僧や外来のヴォランティアたちが、語学力が少しでも彼らの将来に役立つようにと子供たちに英語、日本語、フランス語などを教えている。この町独特の苛立たしさは別として、カンボジアは深い傷とトラウマを振り切ろうともがいているように思う。このコミュニティーはそんな姿勢の一例のように見えた。</p></p>

<p><img alt="04_04_cooking.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/04_04_cooking.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">事実、カンボジア全般は出会う旅人たちの間では非常に良い。「東南アジアの隠された宝」と呼ぶ人もいる。シエムリープに蔓延する観光開発や個人旅行者たちへの町の扱いなどで苦い思いをしている私たちにとって、今回この国の他の場所を訪れることが出来ないのが残念でならない。果たしてそれ程までの疲労とフラストレーションを感じながら、ここへの旅は価値があるものだったのだろうか？と自問することもあるほどだが、その答えは「アンコール・ワットはそれでも素晴らしい！」なのである。どのように素晴らしかったのかは、別の機会（フュージョン・ジャーナル第６号）でお知らせすることになるだろう。</p></p>]]>
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    <title>百万頭のゾウ、白いパラソル</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000133.html" />
    <modified>2005-03-28T10:39:08Z</modified>
    <issued>2005-03-28T17:39:08+07:00</issued>
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    <created>2005-03-28T10:39:08Z</created>
    <summary type="text/plain"> またまた世界遺産のサイトに来てしまった。ラオス北部のルアン・プラバーン（あるいはルアン・パバーン）は、その町全体がユネスコ指定の世界遺産である。ブランドも名高いあるガイドブックには「観光客にとってはラオスの中でも最大の見せ場」と銘打たれているため、私たちはむしろそれが心配だった。今までのラオスの旅で感じてきた静かな美しさが、ユネスコ指定のステータスに押しつぶされているかも知れないからだ。しかし、この町の文化と魅力が今も残されているのを見て、私たちの心配が無用だったことが分かった。...</summary>
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    <dc:subject>ラオス</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0328_monk.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0328_monk.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">またまた世界遺産のサイトに来てしまった。ラオス北部のルアン・プラバーン（あるいはルアン・パバーン）は、その町全体がユネスコ指定の世界遺産である。ブランドも名高いあるガイドブックには「観光客にとってはラオスの中でも最大の見せ場」と銘打たれているため、私たちはむしろそれが心配だった。今までのラオスの旅で感じてきた静かな美しさが、ユネスコ指定のステータスに押しつぶされているかも知れないからだ。しかし、この町の文化と魅力が今も残されているのを見て、私たちの心配が無用だったことが分かった。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>ルアン・プラバーンはタイ系ラオ族の中心都市として８世紀半ばに繁栄した町だ。１３５３年にはランサーン・ホムカーオ、つまり「百万頭のゾウ、白いパラソル」とよばれるラオ族最初の王国がこの町で誕生した。その後さまざまな王国の首都または旧都として王宮とそのステータスを、１９７５年の社会主義革命まで維持し続けた。１４世紀以来建てられてきた寺院の多くは、社会主義政権のもとで幸いにも存続を許された。８０年代には、観光促進のための海外援助と投資が特にフランスによって行われ、１９９５年には世界遺産に登録されるに至る。今日、ルアン・プラバーンは平穏な賑わいを見せる一方で、遠い過去と植民地時代へと誘われるような雰囲気が漂う町となっている。</p>

<p><img alt="0328_weaving.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0328_weaving.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ナム・カーン川がメコン川に合流し、その周囲を山々が大らかに囲む地点にこの町はある。この地域に古くからある仏教信仰は、町に残る８０以上の寺院だけではなく、川に沿ってある多くの洞窟内をミステリアスに覆う大小さまざまな仏像などに残されている。ラオス北部に住む多くの異なった少数民族の存在も、この町に見られる文化と芸術品の豊富さに大きく貢献している。彼らは伝統工芸品を主に観光客に売ることで収入を得ており、絹や木綿の染色、織物を始め、刺繍、手編みの籠、クワの皮材料とした手作りの紙などが店や露店を飾っている。</p></p>

<p><img alt="0328_cafe.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0328_cafe.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ここは買い物好きのパラダイスである。スタイリッシュなブティックやクラフトショップが目抜き通りであるシーサワンウォン通りに軒を連ね、高級レストランやクラブ、ギャラリーも多い。夕方になるとこの道の一部は歩行者天国となり、路上に主にモン族の露店が展開するナイト・マーケットが開かれ、紙で作ったさまざまなクラフトからアップリケが縫い込まれたブランケットまで、ありとあらゆる工芸品が売られている。ここではセールスのひとつひとつがモン族の女たちの生活にとって大きな意味を持つ。特にその日の最初のセールスは「ラッキー・ラッキー」とされ、彼女たちの笑顔は一際大きく朗らかだ。</p></p>

<p><img alt="0328_cave.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0328_cave.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">夕方、寺院の門が閉ざされると僧たちの夜のお勤めが始まり、読経の声が静かな町角に響く。読経の声はまるでこの古い町のオフィシャルテーマソングであるかのようだ。日中、町を探索する間にである若い僧たちは、皆観光客を捕まえては英会話を練習したがり、欧米の文化について知りたがる。彼らの和やかな会話と微笑みは、明け方町中で行われる托鉢の時に見せる厳かな表情とは対照的だ。</p></p>

<p><img alt="0328_hands.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0328_hands.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">過去一ヶ月のラオスでの旅を振り返って、それがミャンマーで得たと同じような肯定的な発見の連続であったと感じている。これら二カ国が共に「やっかいな」政府によって統治されていることは興味深い事実だ。軍事政権または社会主義政権、どちらにせよ彼らは、国民を隔離し同時に貧困の中に押し込めてきた。驚くべきは人々とその文化が力強く存続し、それが今も存在することで国外の観光客や投資家たちにとって大きな魅力となっていることだ。そしてここルアン・プラバーンでは、今も残るうとうとするような優美さとその歴史深い環境が、ここを訪れる人々を魅了し続けている。</p></p>]]>
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    <title>小道の誘い</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000131.html" />
    <modified>2005-03-22T10:17:07Z</modified>
    <issued>2005-03-22T17:17:07+07:00</issued>
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    <created>2005-03-22T10:17:07Z</created>
    <summary type="text/plain"> ある風景が私を捕らえて放さないことがある。それは、他の人々には何の意味もなさず、ただ視界の片隅から一瞬のうちに消え去るものかも知れない。今回、それは単純な日常の風景だった。一週間、毎日飽きることなくその風景を見続け、その美しさに我を忘れた。私たちはラオス北部への入口、ヴァン・ヴィエンの町からさらに北へ４キロ行った小さな村にある有機農園で滞在している。メコンへ流れ込む清涼な水を提供するナム・ソン川の川岸に、その農園はひっそりとある。川を越えて西側には、中国の墨絵を思わせるような切り立った山がそそり立ち、その荒々しい側面には木々が思いがけない濃さで茂っている。...</summary>
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    <dc:subject>ラオス</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0322_river.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0322_river.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ある風景が私を捕らえて放さないことがある。それは、他の人々には何の意味もなさず、ただ視界の片隅から一瞬のうちに消え去るものかも知れない。今回、それは単純な日常の風景だった。一週間、毎日飽きることなくその風景を見続け、その美しさに我を忘れた。私たちはラオス北部への入口、ヴァン・ヴィエンの町からさらに北へ４キロ行った小さな村にある有機農園で滞在している。メコンへ流れ込む清涼な水を提供するナム・ソン川の川岸に、その農園はひっそりとある。川を越えて西側には、中国の墨絵を思わせるような切り立った山がそそり立ち、その荒々しい側面には木々が思いがけない濃さで茂っている。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0322_river2.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0322_river2.jpg" width="350" height="150" border="0"  align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">川に面して立つ農園の小屋は、壁が無く見晴らしが良い。冷やしたオーガニックのクワ茶を味わいながら、私はそこから見える風景から目をそらすことが出来ない。川の向こう岸には一本の木が威厳を放って立っている。太く逞しい大枝を広げ若緑の葉に陽の光を受けながら、照りつける暑い日に嬉しい大きな陰を投げかけている。その根は土の上と地下に荒々しく走り、土手の側面をしっかりと握りしめながら、澄んだ川の水を思う存分吸い上げて繊維一筋一筋の糧としている。</p></p>

<p>そしてそこには川岸から土手の急斜を登ってその木の向こう側へと消える小道が這っている。石段もなく、ただ人々が通い慣れた土の道で、頭上は木の枝が覆っている。川の手前から見ると、夕方近い日の光が西から差し込み、その道を照らし、川の流れに反射してキラキラと眩しい。私はその小道を「誘う小道」と名付けることにした。もっともその道は、向こう岸の土手と背後の山の間にあるほんの小さな農地に至るだけのものだと知れているのだが。</p>

<p><img alt="0322_river1.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0322_river1.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">その風景はある時間になると水浴びに来る村人たちで賑やかになる。朝夕２度、村人たちは必ずここへ来る。乾燥した酷暑が続いていて、午後も早い時間、夕方の行水を待てない村の子供たちがこの川岸へやって来て川で遊ぶ。速い流れに乗って泳ぎながら発する彼らの無垢な笑い声が夕方まで絶えない。川向こうの農地で働く人々は、鍬を肩に載せ、歩いて川を渡る。日暮れも近い夕方になると、丸い石が広がる川岸は川の水を使いに来た村人で賑わう。洗濯したり赤ん坊を洗う母親たち。子供たちは身体を洗っているのか遊んでいるのか分からない。若い女たちはサロングに身を包んだまま身体を洗う。裸体を晒さぬように始終配慮しながらも女友達同士でにこやかなのが優美な印象を与える。</p></p>

<p>農園直営のゲストハウスには、宿泊客以外にも旅人たちが冷たい飲み物やオーガニックの食事に立ち寄る。彼らもこの光景に魅了されるようで、まるで瞑想に耽るように村人たちのこの日毎の営みを静かに見つめている。村人に加わって水を浴びたり子供たちと遊ぶものも多い。岩山のお陰で夕日が沈むのは早く、私たちは一足先に涼しくなり始めた夕方の光を楽しむ。</p>

<p><img alt="0322_river3.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0322_river3.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">町へ行く必要は全く無い。ナム・ソン川でチュービングを楽しむのも一案なのだが、私たちは農園に留まり、暑くなると浅い渓流に身を沈め、川が身体を冷たく流してくれる感触を味わうことが出来る。日が沈むとコオロギとカエルの大合唱が一帯を圧倒し、私たちは他の宿泊客と静かな会話を楽しめるのだ。</p></p>

<p>時はこうして正に夢のように過ぎていく。数日泊まるだけの筈だった予定が瞬く間に一週間になってしまう。この光景の中に「誘う小道」が見え、子供たちの笑い声と川の流れが聞こえ、満ちゆく月の光の中で木々の話し声が感じられるような、そんな澄み切った新鮮なエネルギーに満ちたこのオーガニック農園さえあれば、本を読むことさえも忘れてしまう。予定を変更して滞在を延ばさざるを得なかったのはむしろ自然だと言えるかも知れない。</p>]]>
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    <title>一国の首都</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000129.html" />
    <modified>2005-03-18T04:49:18Z</modified>
    <issued>2005-03-18T11:49:18+07:00</issued>
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    <created>2005-03-18T04:49:18Z</created>
    <summary type="text/plain"> ラオスの首都ヴィエンチャンが今まで訪れた国々の首都とは全く違っていることはまず間違いない。ある英語の上手いラオス人の女性が「この街を一言でどう表現しますか？」と聞いてきた。「眠くなるほどゆったりした街」という意味の「Sleepy」という言葉が真っ先に頭に浮かんだ。人口５０万人の首都が眠くなってしまうほどのまったりさに満ちているのであれば、ラオス全国に住む６００万人の国民もそれにも増してゆっくりゆっくり心地よく住んでいるのだろうと思えてしまうほどだ。（この事は、実際にラオス南部で経験済みである。）破壊と混乱に満ちたここ数十年の情勢がまだ記憶に新しいラオスだが、今日その首都はまるで何事もなかったかのように平然とし、穏やかだ。私たちが見る限り、怒りや緊迫した感情というものがここには見当たらないのである。...</summary>
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      <name>taro</name>
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    <dc:subject>ラオス</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0318_notraffic.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_notraffic.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ラオスの首都ヴィエンチャンが今まで訪れた国々の首都とは全く違っていることはまず間違いない。ある英語の上手いラオス人の女性が「この街を一言でどう表現しますか？」と聞いてきた。「眠くなるほどゆったりした街」という意味の「Sleepy」という言葉が真っ先に頭に浮かんだ。人口５０万人の首都が眠くなってしまうほどのまったりさに満ちているのであれば、ラオス全国に住む６００万人の国民もそれにも増してゆっくりゆっくり心地よく住んでいるのだろうと思えてしまうほどだ。（この事は、実際にラオス南部で経験済みである。）破壊と混乱に満ちたここ数十年の情勢がまだ記憶に新しいラオスだが、今日その首都はまるで何事もなかったかのように平然とし、穏やかだ。私たちが見る限り、怒りや緊迫した感情というものがここには見当たらないのである。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>毎朝多くの市民がタラット・サオと呼ばれる中央市場に集まってありとあらゆる品物を物色する。午後にはご近所さん達が町角や家の前で井戸端会議に花を咲かせる。民放はもちろん、国営チャンネルさえ存在しないにもかかわらず、テレビは人々にとって欠かせない楽しみらしく、タイや中国のドラマやタイのポップス番組を夢中で見ている。夜になると、若者達は屋台でフルーツシェイクを飲みに集まり、大人達も屋台で呑んだり食べたりしている。トランプや、自家製のゲーム盤とビールやソーダのフタを使ったチェッカーで賭けをしている連中も多い。</p>

<p><img alt="0318_mekong.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_mekong.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ヴィエンチャンは、観光客が訪れるような場所というもの自体あまり無い街だが、街並みはなかなかチャーミングな一帯がある。広い並木道にはラオス、タイ、中国、ベトナム、フランス、アメリカ、さらにはソビエトの影響を受けた建築が混在し、その間に寺院がひっそりと納まっていたりもして、そんな所では急がずリラックスして散歩できる。市街の南西側にはメコン川が流れ、タイとの自然な境を提供している。</p></p>

<p><img alt="0318_tuktuk.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_tuktuk.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ここには私たちが外来の旅人として頻繁に悩まされる余計な勧誘もあまり無い。通常タクシーやトゥクトゥクの運ちゃんの強引で 絶えることのない勧誘に苛立つ私だが、ここではそれがないのが助かる。ヴィエンチャンでは穏やかな呼びかけに「ノー・サンキュー」と笑顔で答えると、運ちゃん達は笑顔を返しながら今度は「サムシング？」と訊いてくる。当初はこの「サムシング」がなんのことなのか分からぬまま「ノー・サンキュー」を繰り返していたのだが、暫くしてそれが「マリファナ買わない？」という意味であることが分かった。相変わらず首を振って「ノー・サンキュー」と返すと、彼らはそれ以上は何も言わずトゥクトゥクのシートで昼寝を続ける。</p></p>

<p><img alt="0318_cake.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_cake.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ラオス南部とは異なり、ヴィエンチャンには美味い食べ物が多い。植民地時代にフランス人から学んだベーカリーの技術をラオスの人々が保持したお陰で、とても美味しいパンやバゲットやペイストリーは簡単に見つかる。ラオス風味のサンドイッチもある。長細いフランスパンにフレンチドレッシングまたはしょう油味のソースをからめた生野菜、チーズ、パテなどを挟んだもので、これが安くて非常にいけるのだ。ラオス産の豆で煎れた濃いコーヒー、チョコレート・クロワッサン、純正の中華餃子、そして高級ヨーロッパ料理店などがここには揃っていて、経済的というポイントを考えても最高である。</p></p>

<p><img alt="0318_weaving.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_weaving.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">街の中心街ではハーブを加えたスティームバスやマッサージのあるスパがトレンディーになっているようだ。その傍にはラオス伝統工芸品の厳選品を売るアップスケールなショップ。そこでは織物、刺繍、手編み籠、その他の伝統工芸が並ぶ。これらの製品の多くはモン族を始めとするラオス北部の少数民族が作るもので、質の高い製品で広く知られることで彼らの収入も安定するというわけだ。熟練した手で念入りに作られた製品は、さまざまな幾何学模様、生地、生き生きとした色彩を見せながら美しく仕上がっている。</p></p>

<p>この街のユニークさは他にもある。町中で走っている車の数が他の「首都」に比べて極端に少ないのである。これひとつだけでもゆったりした街の雰囲気を醸し出すに十分であろう。中心街の主要道路でさえも歩行者が道を渡るのは至って簡単だ。ラッシュアワーであるはずの時間帯の交通量も可笑しくなってしまうほど少ない。</p>

<p><img alt="0318_phathatluang.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0318_phathatluang.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ヴィエンチャンのど真ん中には、ある種のゆったりした空っぽさと、他の国の田舎町にも等しいような印象がある。中心街から北東に向けて２キロほどにあるパタット・ルアングは、ラオスの人々にとって信仰の中心となる寺院であり、国民のアイデンティティーのよりどころである。同時にこの寺院はこの街で最も多くの観光客を集める場所なのだが、実際に行ってみるとほんの数えるくらいのビジターがいただけだった。</p></p>

<p>世界各国の首都に比べると確かに小さな街である。が、そんなヴィエンチャンにも変化と現代化が訪れていた。ミャンマーと同じく、ラオスも世界に向けてその扉を開き始めている。そして社会主義国が資本主義の未来に向けて直面し、もがいている場面を目の当たりにする場所としても、ヴィエンチャンは非常に興味深い街だと言える。あるトラベラーから聞いた言葉が思い出される。「ラオスは数十年前のタイを思わせるような国だ。」確かにそうなのかも知れない。事実、タイの大手銀行で多忙を極める一人の重役は私にこう言った。「ラオスのようなゆったりとした素敵な国で旅をしてみたい」と。</p>]]>
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    <title>メコンの流れのように</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000127.html" />
    <modified>2005-03-09T15:43:14Z</modified>
    <issued>2005-03-09T22:43:14+07:00</issued>
    <id>tag:www.onelove.com,2005:/gfj_blog//3.127</id>
    <created>2005-03-09T15:43:14Z</created>
    <summary type="text/plain"> タイヤチューブに乗っかってメコンの流れに身を任せ、思いっきり太陽の光を浴びる。ラオス南部のシー・ファン・ドン（「四千の島」の意）一帯で体験できる究極のリラックス法のひとつだ。場所によっては流れが少々トリッキーだが、危険に至る可能性などは無く（眠ってしまって下流の大きな滝に呑まれる可能性がないとは言えないが）、心地よい浮遊によって頭の中を空白にし、身体を弛緩させるには絶好の場所だ。この島、ドン・デット（デット島）の川岸には高床式の家とバンガロー形式のゲストハウスが並び、レストランが点在する。あるのはそれくらいなものだが、それが正にこの場所の素晴らしさなのだ。もし、有り余る時間をどうやって使うかを知っていれば、の話だが。...</summary>
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    <dc:subject>ラオス</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://www.onelove.com/gfj_blog/">
      <![CDATA[<p><img alt="0309_sunset1.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0309_sunset1.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">タイヤチューブに乗っかってメコンの流れに身を任せ、思いっきり太陽の光を浴びる。ラオス南部のシー・ファン・ドン（「四千の島」の意）一帯で体験できる究極のリラックス法のひとつだ。場所によっては流れが少々トリッキーだが、危険に至る可能性などは無く（眠ってしまって下流の大きな滝に呑まれる可能性がないとは言えないが）、心地よい浮遊によって頭の中を空白にし、身体を弛緩させるには絶好の場所だ。この島、ドン・デット（デット島）の川岸には高床式の家とバンガロー形式のゲストハウスが並び、レストランが点在する。あるのはそれくらいなものだが、それが正にこの場所の素晴らしさなのだ。もし、有り余る時間をどうやって使うかを知っていれば、の話だが。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>この川を私たちが最初に見たのは５ヶ月ほど前、中国の雲南省の山々を訪れたときのことである。怒濤の激流はあの山々を深く穿ち、麗江付近の虎跳峡を踊る大蛇のように走り抜ける。そしてその流れがラオスの平野に至る頃には翡翠の色を帯びた穏やかな川へと姿を変えていた。メコン川は乾期の今でさえも広く、そしてじれったいほどゆっくり流れている。シー・ファン・ドンは、その広大なメコンの流れの中に大小さまざまの島があり、その直ぐ下流には漁師が絶壁から滝壺へ釣り糸や網を投じるドラマチックな滝を有するというユニークな景観を持つ場所だ。</p>

<p><img alt="0309_waterfront.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0309_waterfront.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">メコン川はさまざまな形でそこに生息する動物や大勢のラオス人の生活を支えてきた。（ラオス人口の３分の１がメコンの流れに沿った地域に住んでいるという。）現地の人々にとってこの川は水源であり、魚を採取するところであり、水田用水の供給源でもある。そして川と島々は欧米人と日本人バックパッカーの間で近年注目され始め、観光産業を通じて川の恩恵を受けてもいる。旅行者達の間で何も考えずにリラックスできるところとして知られ始めると、すでに観光開発が進んだラオス北部と比べて未だ些少ではあるがツーリズムによる外貨が入ってきた。やって来るのは主に２０代、３０代の若いバックパッカーたちで、電気も土産物屋も無い環境を大いに楽しんでいる。</p></p>

<p><img alt="0309_tube.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0309_tube.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">外来の訪問客は川岸にある砂浜で日光浴したり、チューブに乗って穏やかな流れの上を浮かんだり、島々を自転車で探索したり、さらに読書、夕日を見ながらの「ビーア・ラオ」（現地ビールの銘柄）、ハンモックにくるまって昼寝などを楽しむ。発電機を持ついくつかのバンガローやレストランは夕日の時刻から夜１０時頃まで電気を提供する。しかし、部屋の中で電灯を灯すと小さな虫を集めることになってしまうので電気はむしろやっかいだ。薄暗いロウソクの光の方がここでは効率がいい。</p></p>

<p><img alt="0309_sunset.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0309_sunset.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">遠い靄と森の茂みや収穫が終わった畑を燃やす煙の向こうに真っ赤な太陽が沈む。ここでの日没は多くの色合いや金色に反射する雲が無く、それ程ドラマチックとは思えない。しかし、日没の残光はピンクがかった灰色となって、闇に覆われる直前まで川岸に生える草や、時折家路を急ぐ小さなボートが横切る川の水面に漂っていた。</p></p>

<p>この島でバンガローや食事を提供する現地の人々の生活もゆったりまったりそのものである。夕食の忙しい時間には夕食のオーダーが出てくるのに２時間を要することは当たり前だ。厨房で働く数人の女性達はそれぞれのオーダーを全てイチから調理するため、たった３、４人の客が来ただけでも混乱の原因となる。オーダーが全く出てこない場合もある。私たちがある家族経営の小さなレストランへ行ったときのことだ。飲み物と食事を頼むと、ドリンクは直ぐ出てきたのだが、食事が来ない。１時間後に食事はどうなっているかと尋ねると皆きょとんとして反応がない。そう、私たちの食事のオーダーは忘れ去られていたのだ。そのとき、そのレストランには私たちしか客はいなかったというのに。</p>

<p><img alt="0309_boat.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0309_boat.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">現代社会の便利さが欠如しているにもかかわらず、と言うよりは欠如しているからこそ、この地域を魅力的でゆったり出来るところだと思い始めている。ここでの生活はごく基本的でシンプル、時間は有り余るほどある。ラオスへ入ったばかりの私たちの感覚はここでのペースとまだ完全に同期してはいないが、それでも目的も無しにただ在るスペースとしては悪くない場所だと思う。メコンの流れのような時間の流れを感じることが出来るシー・ファン・ドンで数日過ごせばラオスのペースに慣れることは確実だ。</p></p>]]>
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    <title>なぁんにも無い町</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000125.html" />
    <modified>2005-03-03T15:08:15Z</modified>
    <issued>2005-03-03T22:08:15+07:00</issued>
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    <created>2005-03-03T15:08:15Z</created>
    <summary type="text/plain"> ラオスのチャンパサックは本当に何もないところだ。歩いているだけでも眠気を誘うこの町は、ゆったりしながらも力強いメコン川に静かに寄り添うように、ある。そのメインストリート（と言ってもそれしか道らしい道はないのだが）は川と並行に通り、その両側には伝統的な木造高床式の家々、植民地時代に建てられたフランス風のヴィラが数戸、それにレストラン、ゲストハウス、町の人々が通うシンプルな商店が数軒あるだけだ。この町の中心から８キロ南に世界遺産のワット・プー・チャンパサックがある。この寺院はアンコールの時代に建設されたもので、そこからは遙か南方のアンコール・ワットへ続く道が延びている。しかし、あのカンボジアの大寺院のスケールとは比較する術もなく、ここを訪れる人々は数少なく、やって来たとしても長く滞在することはない。...</summary>
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    <dc:subject>ラオス</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0303_street.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0303_street.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ラオスのチャンパサックは本当に何もないところだ。歩いているだけでも眠気を誘うこの町は、ゆったりしながらも力強いメコン川に静かに寄り添うように、ある。そのメインストリート（と言ってもそれしか道らしい道はないのだが）は川と並行に通り、その両側には伝統的な木造高床式の家々、植民地時代に建てられたフランス風のヴィラが数戸、それにレストラン、ゲストハウス、町の人々が通うシンプルな商店が数軒あるだけだ。この町の中心から８キロ南に世界遺産のワット・プー・チャンパサックがある。この寺院はアンコールの時代に建設されたもので、そこからは遙か南方のアンコール・ワットへ続く道が延びている。しかし、あのカンボジアの大寺院のスケールとは比較する術もなく、ここを訪れる人々は数少なく、やって来たとしても長く滞在することはない。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0303_bugs.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0303_bugs.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">到着したとき、近所の子供たちが私たちを見てクスクス笑っていたが、ジロジロ見ることも畳みかけるような挨拶の嵐も無かった。ただ目が合って遊びのような相互認識を交わしただけで、我々はすでに友達になっていた。彼らは、メコン川を見下ろす庭の真ん中に立っている大きなマンゴーの木に集まる虫を追いかけていたところだった。彼らが振り回す竹の棒で届くか届かないかという高さまで枝が下りてきていて、その枝をようやく叩くと周辺に留まっていた小さな薄緑色の虫が飛び回る。子供たちは笑い声をあげその小さなぶんぶんを追いかけて走り回る。最初はそのうちの何人かが持っていたペットボトルに捕まえた虫を集めているのだろうと思っていたのだが、私たちの目の前で彼らはその虫の堅い羽をむしり取り、ポイッと口の中に放り込んで、まるでマーブルチョコレートを食べるようにガリガリと美味しそうに食べた。</p></p>

<p>この国の実にゆったりゆっくりペースの生活や食事にはあまり期待できないことなどについては、ラオス入国前に出会った多くのトラベラー達から聞き及んではいた。入国後最初に滞在したここチャンパサックでその情報は確かなものだったことを確認した後は、そのペースに合わせて子供達と遊び、読書に専念することにした。食事は、ある若い日本人バックパッカーが「飯が不味い！」と表現したとおりである。世界に著名なエスニック料理というものはおそらくすでに出揃っているのだろうが、「行きつけのラオス料理の店」などというものは聞いたこともないし、私自身見たことがない。</p>

<p><img alt="0303_transport.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0303_transport.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ゲストハウスの前を通る「メインストリート」では自転車や原チャリが時々走るだけで自動車が行き交うのはまれである。その他に耳に入ってくる音と言えば赤ん坊の泣き声、子供達の笑い声、ニワトリやアヒル、セミの鳴き声、川を走るボートのエンジン、そして雨と風、といった具合だ。何しろラオスに入ってからと言うもの、今までの旅で多少なりとも常に感じる緊迫感というものが全くない。あったとすれば国境を越えた直後についた町、パクセで乗っていたロット・ドイサーン（トラックバス）に若い男が乗り込んできて、私たちの荷物をさっさと自分のトゥクトゥクに載せ、「あんたら、どこいくねん？」とせっかちに訊いてきたときくらいなものだ。ここにいると、あのことさえももう何日も前のことのように思えてしまう。</p></p>

<p><img alt="0303_temple.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0303_temple.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">借りた原チャリを駆ってワット・プーへ行くことは簡単なことだった。道一本、しかも注意を払うべきものが周囲に何もない。私たちがいるメコン川の西側には収穫を終えた米畑が金色に染まって広がっている。ゆったりとした丘陵が徐々に高さを増しながら、靄がかった暑い大気の中に横たわる山々のブルーと灰色のシルエットの中に溶け込んでいる。廃墟となったこの寺院はそんななだらかな丘の中腹に残されていた。一般には仏教寺院とはされているが、ヒンズー教ゆかりの神々やシンボルもそこここに見られる。砂岩に彫り込まれた形象は消えてゆこうとしている。しかし神々の表情は明らかにアンコール様式で、穏やかな微笑を含む分厚い唇と伏せた眼差しが印象的だ。仏の表情はタイのそれに酷似している。アンコール・ワットのような目を見張るようなオブジェや景観はここには無いが、それと同じ様式の建築や美術への静かなイントロであったかも知れない。</p></p>

<p><img alt="0303_temple1.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0303_temple1.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ワット・プーを訪れ、町へゆっくりと帰ってくるのに半日もかからなかった。時間つぶしにもならない。「さて、これからどうする？子供達と遊ぶか、昼寝をするか、本を読むか。」思いつくのはそれだけだった。そんな場所で２、３日を過ごすと、「私はやはり現代社会の産物なのだ」と考えざるを得なくなる。「何もせず、休養し、何も考えずにリラックスする」ための手段を持たないのだ。「仕事のやりすぎは頭のために良くない」と人々が考え、忙しい人たちを心から可哀想に思うというのが国民性だとされるこの国で、私たちはゆったりと時間を過ごす能力を試されているような気持ちである。将来ラオスを訪れようと考えている読者へアドバイス。読みたい本をどっさりと持参すること。（日本語の本を扱っているブックストアは無いと考えていい。）ヨガ用のマットもきっと役に立つだろう。</p></p>]]>
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    <title>ミャンマーの人々</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000123.html" />
    <modified>2005-02-23T02:55:41Z</modified>
    <issued>2005-02-23T09:55:41+07:00</issued>
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    <created>2005-02-23T02:55:41Z</created>
    <summary type="text/plain"> ミャンマーにもっといたい。出国の数日前、私はそんな思いを抱いている。ミャンマーでの私たちの旅はスケジュール的にはかなり忙しいものとなり、限られた時間で回るために行程も典型的な観光ルートになってしまった。ヤンゴンから１５時間夜行バスに乗ってマンダレイへ、そこからアイェヤルワディ川を船で遺跡の町バガンへと下り、そしてミャンマーの北東部にあるシャン州にある湖、インレ湖へとやって来た。そしてこの後ヤンゴンへと戻るのだが、この国の見どころをじっくり味わいながら回るには私たちの２週間の旅程は明らかに短い。しかし、ここにもっといたいと思う第一の理由はミャンマーの人々に他ならない。...</summary>
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    <dc:subject>ミャンマー</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0220_women.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0220_women.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ミャンマーにもっといたい。出国の数日前、私はそんな思いを抱いている。ミャンマーでの私たちの旅はスケジュール的にはかなり忙しいものとなり、限られた時間で回るために行程も典型的な観光ルートになってしまった。ヤンゴンから１５時間夜行バスに乗ってマンダレイへ、そこからアイェヤルワディ川を船で遺跡の町バガンへと下り、そしてミャンマーの北東部にあるシャン州にある湖、インレ湖へとやって来た。そしてこの後ヤンゴンへと戻るのだが、この国の見どころをじっくり味わいながら回るには私たちの２週間の旅程は明らかに短い。しかし、ここにもっといたいと思う第一の理由はミャンマーの人々に他ならない。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0220_market.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0220_market.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">この国の観光は中国、タイやインドのようにフルに開発されてはいない。そのためか人々が観光客慣れしていないというのが良い。私たちを客と見て寄ってくる人たちはアプローチの際も、断って退くときもフレンドリーさとあきらめの良さがある。マーケットの闇換金の勧誘はしつこくないし、どこの国へ行っても問題が多いタクシーの運ちゃんも、多少交渉する必要はあっても実にあっさりしたものである。土産物屋の店員たちも接客はガツガツしたところがなく、客が買わなくても中国でよく見たように後ろを向いて顔をしかめ舌打ちすることもない。観光客が急増しているインドでは外人を見かけるのが珍しくないはずの観光地でさえもジロジロと見られたが、ここではそんなこともない。見られているにしても、目つきが「舐めるようなジロジロ」ではなくてどこへ行っても「人なつっこく眺める」という感覚なのだ。目が合って相手が無表情でもこちらから微笑みかけると、決まって恥ずかしそうに、そして嬉しそうに笑顔を返してくれる。このような環境では金が絡むことのない場面でも現地の人々と会話や文化交流がしやすい。</p></p>

<p><img alt="0220_games.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0220_games.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">加えて外国語に長けている人が意外に多いのも会話の質が高いことの理由だ。（ミャンマーはかつてイギリスの植民地でもあった。）私たちの旅は個人旅行だが、現地で出会った人々の中にはプロのガイドが多くいて、彼らとのうち解けた和やかな会話からこの国について多くのことを学ぶことが出来た。ミャンマーで外人相手のガイドになるには免許取得を必要とする。（ここで言うガイドとは、一般の運転手やインレ湖の船頭など客を連れて町や湖を案内する人々とは異なる。）免許取得には英語を始めとする外国語に加えてミャンマーの歴史や観光地とその周辺の知識が問われる試験を通過しなければならない。若い世代の間ではガイドは魅力的な仕事のひとつのようである。</p></p>

<p>その中に一際面白い男がいた。秀才肌の男で、留学したわけでもないのに堪能な英語をペラペラと話し、かなりのヴォキャビュラリーを持っていた。国の各地方の知識にも長けている。どうやってあれだけの英語を習得したのかという質問に、彼は「仕事がない時は必ず数時間ＣＮＮとＢＢＣを観る。以前は辞書を片手に苦労したけど今はそんな必要もなくなった。あとハリウッド映画もＤＶＤでたくさん観るよ。スラングや会話の仕方を学ぶのに最高なんだ。英語版の新聞も手には入ったら必ず読むようにしている。」どおりで今の世界情勢にも詳しく、アメリカや日本について突っ込んだ質問をしてくるはずだ。</p>

<p>彼によると、海外からマスコミを通じて入ってくるニュースはセンサーシップ無しで入ってくるという。ハリウッド映画もカット無し、モザイク無しで「ノープロブレム」なのだそうだ。「音楽だって同じ。汚いスラングが入ったヒップホップもオッケーだよ」と、彼は冗談交じりに言った。ミャンマーの政府は人々の生活に直結した問題を少しずつではあるが解決してきており、貧富の差はあるにしても現在は大きな問題ではない。国全体の生活水準も高まってきているようだ。ミャンマーは少しずつその扉を世界に向けて開きつつあるが、その過程がゆっくりなのはあくまでも混乱を避けるためのものだと言う。確かに腐敗はあるが、政治には腐敗はつきものだしそれはこの国に限られたことではなく、アメリカだってそうだろう、とも。</p>

<p><img alt="0220_fisher.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0220_fisher.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">インレ湖は、湖上の高床式家屋に住む人々が村を形成して活気ある生活を営むことで知られている。ニュアングシュエは、湖畔に位置し多くのツーリストが訪れるところでもあるが、町自体は未だに静かで、そこでは時間がゆっくりと過ぎてゆく。現地の人々が住む一帯を歩き回ると、そこで繰り広げられている彼らの生活をつぶさに見て取ることが出来る。彼らは古くからある基本的な価値観を今も保っている。コミュニティー内での相互援助と協力、そして真の意味での「家族の価値」がそこにはある。日常生活の核としての家族観はどこにも明らかだ。年上の子供たちが年下兄弟姉妹の面倒を見、世話をする。子供は皆家事手伝いをする。年寄りは体力が続く限り若い世代と共に働き、愛情とふれあいを与えながら知恵と知識を次の世代へと伝える。これらの基本的な言動がここではごく自然に行われている。家族内で見られるこのような姿勢は近所の人々やその一帯のコミュニティーへも広がっている。どこにでも共通しているのは笑い声と歌声である。</p></p>

<p>ミャンマーの人々は歌が大好きである。民謡、今流行のラブソングやロック、アメリカのポップソングなどを大きな声で歌う。道を歩いたり自転車に乗るとき、木陰でリラックスするとき、店番をしているときなど、何をやっていても自然に歌い出す。彼らの生活は確かに楽なものではないだろうが、その歌声は人々の心の内にある幸福を知らしめるものだと思う。そうでなければ、日も暮れて満月に照らされた夜の道で仕事帰りの人々があれほど楽しそうに歌を歌えるはずがない。</p>

<p><img alt="0220_lovers.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0220_lovers.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">私たちのミャンマーでの旅は短かったものの、その間に意外なほど多くの現地人たちと話し合うことが出来た。親しみやすく好奇心ある人々の気性と彼らの英語能力がそれを可能にしたようだ。前述の英語が堪能なガイドの男は、「ミャンマーの将来は明るい、それがこれから先１００年かかるとしても、この国は立派な世界が認める国になる」と言って微笑んだ。政府自体が世界の非難を浴びている一方で、この国の人々が驚くほどの人間性を保って生きているのを見て、ミャンマーの明るい未来と世界的な認識よりも、むしろ私はこの人たちの今のあり方を世界は認識すべきだと思う。私は出来れば近い将来再びここを訪れたいとすでに考えている。</p></p>]]>
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    <title>来て良かった</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000121.html" />
    <modified>2005-02-17T09:43:31Z</modified>
    <issued>2005-02-17T16:43:31+07:00</issued>
    <id>tag:www.onelove.com,2005:/gfj_blog//3.121</id>
    <created>2005-02-17T09:43:31Z</created>
    <summary type="text/plain"> 旅先として考えるミャンマーという国は困惑と議論に満ちた国である。マスコミはこの国について独裁的で全てを牛耳る軍事政権や、民主化運動の功績でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スウ・チー氏の勇気ある活動、人権損害の行為、さらに充満する腐敗などを取り上げている。インターネットの掲示板や著名ガイドブックでは「ミャンマーを訪れるべきか、否か？」についてその長所と短所が繰り返し討論され、分析されている。これについての私たちの考えは、「何とも言えない。が、私たちは自分の目でそれを確かめ、自分自身の意見を構築したい」である。今、私たちはミャンマーにいる。そして、到着直後の印象が様々な形で私たちの中に生まれ始めている。...</summary>
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      <name>taro</name>
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    <dc:subject>ミャンマー</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0214_nuns.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_nuns.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">旅先として考えるミャンマーという国は困惑と議論に満ちた国である。マスコミはこの国について独裁的で全てを牛耳る軍事政権や、民主化運動の功績でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スウ・チー氏の勇気ある活動、人権損害の行為、さらに充満する腐敗などを取り上げている。インターネットの掲示板や著名ガイドブックでは「ミャンマーを訪れるべきか、否か？」についてその長所と短所が繰り返し討論され、分析されている。これについての私たちの考えは、「何とも言えない。が、私たちは自分の目でそれを確かめ、自分自身の意見を構築したい」である。今、私たちはミャンマーにいる。そして、到着直後の印象が様々な形で私たちの中に生まれ始めている。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>ヤンゴン国際空港での入国手続きは至ってスムーズだった。移民局の担当員はビザをチェックしただけでパスポートにスタンプを押し、税関のオフィサーは荷物の点検もせずただ笑顔で私たちをこの国に迎え入れてくれた。この旅に出発する前にアメリカの友人たちはパソコンの持ち込みに関しては気をつけろと言ってくれたのだが、彼らのアドバイスは過去のものでパソコンやビデオカメラ、その他の電気製品の持ち込みに関する制限は暫く前に解除されていた。</p>

<p><img alt="0214_teaguys.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_teaguys.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">入国して直後に出くわした難点は換金だった。現地の通貨はＫｙａｔ（「チャット」と発音する）だが、訪問者の立場ではミャンマー国内どこでもこのチャットがアメリカドルと併用されている点で、いつどれを使うかに悩まされることになるのである。ドルからチャットへの換金レートは銀行やブラックマーケットなどによって異常とも思えるほど異なる。空港にある正式な銀行では１ドルあたり４５０チャットがレートだが、ブラックマーケットでは１ドルが９００チャットと二倍にもなる。さらに、一度チャットに換金してしまうと再びドルへ戻すことはほぼ不可能で、ミャンマーの外ではチャットは無価値同然なのだ。それに輪を掛けるように面倒なのが新しいデザインの１００ドル紙幣による換金レートは最高で、５０ドル札ではレートが下がり、それ以下の紙幣のレートはさらに低くなってしまうことだ。換金に使えるドル札のコンディションは新しくしかも完璧でなければならず（古いドル紙幣はコンディションが良くても換金レートは低くなる）、ちょっとでも破れていたり、表面が剥げていたり、しわが多かったりすると受け入れてはくれない。ジョージ・ワシントンの顔がちょっとだけかすれていた私たちのドル札も拒否されてしまった。</p></p>

<p>ホテル、アップスケールのレストラン、観光客のための商店などでは値段の表示が全てドルで書かれている。ホテルや商店の中にはドルをチャットに換算した上で（もちろん、外来者に不利なレートで）支払うことは可能だが、航空券やバスチケットを購入する際はドルしか使えない。その結果、私たちは換金という馬鹿馬鹿しいゲームに巻き込まれ、いくら換金すべきかや出国前にやたらと多額のチャットは持っていたくないなどでイライラすることになる。</p>

<p><img alt="0214_girl.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_girl.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">この意味不明な換金ゲームにもかかわらず、ミャンマーの首都ヤンゴンは、伝統的な価値観や多様な文化、植民地時代の建物、そして現代的で洗練された要素が混在しながら全体的にゆったりとした印象を持ち、親しみやすく魅力多い都市だと感じた。大きな街であるにもかかわらず、雰囲気はエキゾチックだ。子供や女性は「タナカ」と呼ばれるサンダルウッド（白檀）のような木の粉を水に溶かして顔に塗っている。この濃い肌色の塗料を頬や額にさまざまなトライバルデザインで描いているのだ。紫やオレンジ色のランの花が菩提樹の幹の間から顔を覗かせる。男たちは「ロンギー」というチェックパターンの布をズボン代わりに腰に巻き、ベテルナッツを噛み、「チェルーツ」という名の葉巻を吸う。</p></p>

<p><img alt="0214_paya.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_paya.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">どっしりとした方形の基礎から鐘の形をした黄金色の仏塔、ゼディが雲ひとつ無い青空にそびえ、午後の厳しい日差しを受けてギラギラと反射させている。そんな仏塔の中でも最大、最も聖なる寺院とされるシュウェダゴン・パヤは市内のいたる場所からもその神々しく瞑想的で魔法のような姿を望むことが出来る。夕日の光りの中で、その巨大な仏塔のシルエットが街の風景の中に浮かび上がる。ミャンマーの人々の大半は信仰厚い仏教徒である。そのことは知っていたのだが、市内には意外に多くのモスクも見られる。一日を通じて比較的静かな時間にはモスクからの祈りの声も聞こえるが、音量はインドで聞いたものほどは高くはなく、日中には騒音で掻き消されてしまう。この街にはその他にもヒンズー寺院やキリスト教会、カテドラルなども多くあるようだ。</p></p>

<p><img alt="0214_teashop.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_teashop.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">茶店はどの道路や街角にもあり、一日中客足は絶えることがない。店によって朝早く開くものもあれば夜遅くまでやっているものもあるようだ。客たちは雑談をしたり、簡単な食事やスナックを食べるためにやって来て、低い木製かプラスチックのテーブルを囲んで座り、欠けた陶器の茶碗で茶をすすり、飲茶のような方法で豚まん、あんまん、春巻き、ジャムサンド、麺、餅米とココナッツのミックスなどを食べる。通常、彼らが注文するのは濃い紅茶かコーヒーをコンデンスミルクで甘くしたものだ。薄目のウーロン茶は魔法瓶に入れて全てのテーブルに置いてあり、客は何かを注文しさえすればそこからいくらでもウーロン茶を飲むことが出来る。アメリカドルでわずか５０セント払えば二人が紅茶二杯ずつと満腹になるまで小品を味わえる。</p></p>

<p><img alt="0214_tea.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_tea.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ヤンゴンの中心街には現代的な高層ビルがいくつか立ち、ビジネスオフィス、ハイエンドのホテル、ブランド商品店、トレンディーなカフェがビルの中に点在している。ビルの周辺の歩道は穴ぼこだらけで、穴に足を踏み入れたりつまずかないように歩くのに一苦労する。乾燥期の道路は埃っぽいが、インドに比べるとゴミは目立たず、比較的きれいに維持されている。道路を走る車は自家用からバスにいたるまでその大半が日本から輸入された中古車である。それを見ていると滑稽でもあり懐かしくもある。私が子供の頃には新車だった小さなマツダが、数十年後にここヤンゴンでまだ庶民の足として活躍している。日本から輸入した後、再度ペイントすることはしないようで、どの車も日本のどの会社のものだったのか、どの地方で走っていたバスだったのかが分かる。故郷の京都で走っていた薄緑と深緑の市バスをこの街で何台も見かけたのには驚きもし、笑いもした。</p></p>

<p><img alt="0214_tabacco.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0214_tabacco.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ミャンマーは至って安全な国である。ヤンゴンの市内を歩き回っている間も、旅の途上で少なくとも持ち続けている警戒心や身の回りの注意といったものが、ここでは全く不必要に感じるくらいだ。見た限りでは私たちに対してはもちろんのこと、人々の間でも暴力らしきものは全く見当たらず、他の国ではどこでも見かける路上での白熱した口論さえない。市民の間ではある独特の平和さと穏やかさが普通のようである。政府は、世界への対面を保つために国民に外国人には優しく親切に振る舞うことを奨励しているという。言うまでもなく、政府は観光客が持ち込む金（つまりアメリカドルのことだが）を意識しているようだ。が、人々が漂わせる優しさは、なにも政府がお膳立てしたからだけではないと私は思う。彼らの笑顔はこわばったものでも皮一枚だけのものではなく、まだ観光ずれしていないごく自然で純粋なものだと感じる。</p></p>

<p>この国を訪れる他の訪問者たち同様、私たちはミャンマーの深刻な歴史を知っている。大英帝国による植民地時代、第二次大戦中の日本による侵略、戦後の混乱に満ちた不安定な内部情勢、世界中に知られることとなった軍事政権による独裁と民主化の否定。人権蹂躙の記録。腐敗したシステム。貧しさにあえぐ人々。ミャンマーの生活が困難であることは明白だ。が、人々の姿勢は前向きでその表情は明るい。私たちがここに来てからわずか二日ほどだが、人々からはこれらの困難を感じず、心地よい雰囲気を味わっている。予想していた全体的に厳正で堅いムードに反して、私たちは優しい微笑みと無垢な笑い声に囲まれている。世界世論を意識して、ミャンマーは少しずつ世界への扉を開きつつある。観光客が旅費として使う金は、１０％の税金以外は人々の手に残るという。とすれば、このささやかな献金が、いつかは人々の経済的独立に貢献し、さらに政治的な独立にもつながってゆくものになるよう我々は望むばかりである。ミャンマーの外では、多くの矛盾を抱えるこの国を訪れるか否かで今日も意見が交わされているのだろう。しかし、今ここにいる私たちは来て良かったと正直に言える。</p>]]>
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    <title>タイを学ぶ</title>
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    <modified>2005-02-12T09:36:38Z</modified>
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    <summary type="text/plain"> バンコックの勝利記念碑から高架電車タナヨング（ＢＴＳ）に沿って南北に走るパヤタイ・ロード。その一角に立つオフィスビルの側面を巨大なバナーが覆っている。現タイ国王、ラマ９世の肖像写真がハンサムに映る。遠くからでも容易に読める英語の見出しが「最も偉大な国王」と宣言している。国王の目は厳しさを帯びながらも優しく、タイ王国の明るい未来を見定めているかのようだ。事実、国王と王妃の巨大な肖像は大通りばかりではなく市内の至る所に見られる。彼の肖像は、時には王室の正式な軍服をまとって国民への奉仕を象徴し、時にはポロシャツとカジュアルなスラックスに愛用のカメラを首から下げた姿で国民にとって身近な存在であることを表現している。そして私たちは、バンコックを訪れるたびにタイの人々の国王への深い想いを感じる。...</summary>
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    <dc:subject>タイ</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0212_greatking.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_greatking.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">バンコックの勝利記念碑から高架電車タナヨング（ＢＴＳ）に沿って南北に走るパヤタイ・ロード。その一角に立つオフィスビルの側面を巨大なバナーが覆っている。現タイ国王、ラマ９世の肖像写真がハンサムに映る。遠くからでも容易に読める英語の見出しが「最も偉大な国王」と宣言している。国王の目は厳しさを帯びながらも優しく、タイ王国の明るい未来を見定めているかのようだ。事実、国王と王妃の巨大な肖像は大通りばかりではなく市内の至る所に見られる。彼の肖像は、時には王室の正式な軍服をまとって国民への奉仕を象徴し、時にはポロシャツとカジュアルなスラックスに愛用のカメラを首から下げた姿で国民にとって身近な存在であることを表現している。そして私たちは、バンコックを訪れるたびにタイの人々の国王への深い想いを感じる。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0212_king1.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_king1.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">これはタイ国内に限られているわけではない。海外在住のタイ人は祖国から遠く離れていても国王への愛情を持ち続けている。タイ料理の店に行かれた方は、店内の壁のどこかに国王と王妃の写真が掛けられ祀られているのをご覧になったに違いない。国王のタイ国民に対する誠志な想いと愛情が、国民の彼に対する愛情に反映されているのだ。</p></p>

<p>１９７０年代以来２０年に渡る不安定な政情の後、タイは民主主義国家となり、現在国王には政治的権限は無い。国王は大きな混乱と多くの人々の流血を回避するために政治権力を国民に譲渡した結果、タイは民主主義社会となった。この時、国民の意志を誠実に受け入れた彼の行動は、人々が彼を尊敬して止まないことの数多い理由のひとつでもある。</p>

<p><img alt="0212_exercise.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_exercise.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">国王の宮殿を囲む壁に沿って、その内側に王室の地所とはまるでイメージが違う建物や牛舎、グリーンハウスなどが立ち並んでいる。そこは、国王が農業から現代産業の各分野で学習と実験を自ら行っている研究施設なのだ。タイの人々にとって有益なものとなる新たな発見があると、国王は王室直属の機関を通じて人々に「進言」し、多くのプロジェクトが成功している。例えば、彼の用水と土地使用に関する研究（国王が得意とする分野だと言われる）を基にバンコック郊外に貯水池と水路が建設され、かつて市内に多くあった水路の埋め立てが原因で頻繁に起こるようになった洪水が減少するという結果を生んだ。また、タイ北部の山々に住む少数民族に利潤の多い野菜や果物の栽培を奨励し、村人たちのアヘン栽培依存を減少させた。国民の肥満症を案じた国王は、誰もが参加できる習慣的な運動を広めるため、毎日夕方６時に国中の公園や広場などでエアロビクスを実施している。</p></p>

<p><img alt="0212_king2.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_king2.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">王室が人々の間で広く尊敬されると同時に高く評価されているため、タイ国民が王室の悪口を言う理由はあまり無い。イギリスや日本のロイヤルファミリーに見られるゴシップも無い。特に国王と王妃は文字通り神様のように崇められていると言っても過言ではないだろう。「現国王と仏教無しには今のタイは語れない」とも言われる。王室に対する無礼な言動が法によって禁じられているという事実があるにしても、この法律を自らの意志で犯すタイ人はまず見かけることがない。国王の肖像をかたどる物は全て神聖なもの（またはそれに近いもの）とされ、それにはもちろん印刷物とタイの紙幣も含まれる。例えばインドやアメリカでは破れたりすり減ったりボロボロになったお札が多いが、タイ人がお札を粗末に扱うことはない。タイの紙幣とコインは、その全てに国王や王妃の肖像が描かれているため常に丁重に扱われるのである。あるタイ人の男性に１０バートコインの女性は誰だと尋ねると、彼は愛情をこめて大声で答えた。「あの方は私の王妃様です！」</p></p>

<p>このタイ王国を訪れるたびに、私たちはタイの文化の複雑さを感じさせられると同時に、少しずつではあるがより多くを学んでいるとも思う。この一週間の間に、私たちは幸いにも近所に滞在しながらタイの言語、文化、歴史を研究している人たちに出会うことが出来た。蒸し暑い夜遅く、一緒に飲みながら聞く彼らの話は、この国の習慣や伝統の知識に富んでいて非常に興味深い。</p>

<p><img alt="0212_corn.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_corn.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">例えば、タイ人の友達には絶対に刃物類の贈り物をあげてはならないという習慣を学んだ。刃物は友情関係を断ち切るという意味があるそうだ。もっとも、それを意図する場合は仕方がないことだが。赤インクで手紙を書いてはならない。赤い文字は死者に送るものだからだ。挨拶にも見ただけでは分からない複雑なルールがある。タイの人々は合掌して挨拶をすることがあるが、相手と場合によっては相手に身の狭い思いをさせてしまうことになってしまう。従って、我々外来者は勝手構わずそのような挨拶することをせず、相手のタイ人が合掌したときのみそれに合わせて挨拶を返すのがいいだろう。または、外来者は外来者らしくいつものように挨拶をする方がいいのかも知れない。</p></p>

<p>ある日の午後、私は町中の混んだ歩道を歩いていたのだが、そのとき一人の男の子が目の前に飛び出してきた。私はその子の背後に位置していて、誰かが後ろにいるという意味でその子の頭に手を当てて彼の注意を誘った。頭に見知らぬ人の手を感じた子供はいかがわしい表情で私を見た。タイでは他人の頭を触れるのはタブーである。頭部は身体の中では最も尊い部分とされ、生命力が宿る場所と考えられているからだ。またある日、ミシガンから初めてアジアを訪れたという若者がレストランで足を組んで座り、裸足の足の裏を無意識にウエイトレスに向けていたことがあった。それを見たウエイトレスの表情は即座にこわばり、足が向いていた方向から早足で去っていった。尊いとされる頭に対して足は不浄。それを人に向けるのは失礼だし、さらに僧や仏像に足をむけることは完全な非礼となる。</p>

<p>この他にもタイ文化のユニークな特徴がいろいろある。タイでは異性に興味を持たない男性に対する人々の姿勢が非常に大らかで、差別は全くないと言っていい。私たちが泊まっているゲストハウスの傍には技術系の大学があり、平日はその一帯が大勢の生徒で混雑する。道ばたの屋台に仲間同士集まって座り、パッドタイやサテーを食べジュースを飲みながら話し合っている光景はこの近所の日常だ。それに混じってコーヒーを飲んだり食事をしながら男女混じり合って雑談している学生たちを見ると、女装している男の子が多いのが目立つ。東南アジア系の細身にぴったりとした女学生の制服を着て少々化粧もしている。男だと分かるのはハイヒールのサイズが大きいことや手の大きさによるくらいなものだ。「カトイ」と呼ばれる女装男性たちは、タイのエンターテイメントの世界では長年の間築き上げられてきた確固たる存在で、人々の間では広く受け入れられている。これらの若い男性たちはそのオープンで大らかな環境の中で自由に自己表現できるのだ。</p>

<p><img alt="0212_lotus.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0212_lotus.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">タイは、今までに繰り返し訪れてきたという個人的な理由で私たちにとってはユニークな存在だ。インドから帰還した今回の入国を含めるとこれで５回目、来るたびにこの国とその文化について少しずつ知識を深めていると感じている。新たに知る情報は、それぞれがいかに些細なものであっても、この国だけではなくいかなる文化について常に何か新しいことを学ぶことが出来るものなのだというむしろ当たり前のような教訓を想い出させてくれる。この事は、どんなカルチャーを知る上でも常に目と心を開いていなければならないということでもある。この単純な事実は、おそらく文化を学ぶという行為の原則なのだろうと思っている。</p></p>]]>
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    <title>「ミスター・シッダウン」</title>
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    <modified>2005-02-02T07:27:38Z</modified>
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    <created>2005-02-02T07:27:38Z</created>
    <summary type="text/plain"> 彼の本名は知らない。いつか尋ねる気になるかもしれない。それまでは「ミスター・シッダウン」というあだ名で彼を呼ぶことにしている。毎日夕方６時頃、彼の黒いおんぼろトラックが角のセブンイレブンの真ん前に停まる。そこが彼のスポットである。暫く道具を並べたり準備したりした後、トラックの後ろでラーメンを作り始める。夕食の時間だ。腹を空かせた近所のタイ人たちが群がってくる。バンコックを訪れるときはいつもここが私たちのご近所さんとなる。私が彼の屋台へ食べに行くときばかりではなく、ただセブンイレブンへ行く道でまえをとおりかかるだけでも、彼は笑顔になりあの優しいタイ訛りの英語で「シッダアァァウゥゥゥン」と手招きする。これが私がこの愛すべき老人のあだ名の由来だ。そして彼のタイ風ラーメンは最高に美味い。...</summary>
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    <dc:subject>タイ</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0202_mrsitdown.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0202_mrsitdown.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">彼の本名は知らない。いつか尋ねる気になるかもしれない。それまでは「ミスター・シッダウン」というあだ名で彼を呼ぶことにしている。毎日夕方６時頃、彼の黒いおんぼろトラックが角のセブンイレブンの真ん前に停まる。そこが彼のスポットである。暫く道具を並べたり準備したりした後、トラックの後ろでラーメンを作り始める。夕食の時間だ。腹を空かせた近所のタイ人たちが群がってくる。バンコックを訪れるときはいつもここが私たちのご近所さんとなる。私が彼の屋台へ食べに行くときばかりではなく、ただセブンイレブンへ行く道でまえをとおりかかるだけでも、彼は笑顔になりあの優しいタイ訛りの英語で「シッダアァァウゥゥゥン」と手招きする。これが私がこの愛すべき老人のあだ名の由来だ。そして彼のタイ風ラーメンは最高に美味い。<br />
</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0202_soup.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0202_soup.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">一杯のラーメンを作る最初のステップは麺とワンタンを茹でることから始まる。バンコックでラーメンが食べられる屋台では、普通細い米麺、太めの米麺、中華麺、そして（なぜかは理解に苦しむが）インスタント麺などから数種類の麺から選ぶことが出来るのだが、ミスター・シッダウンは中華麺だけを使う。一杯に４個入れる自家製のワンタンは豚肉入りだ。次に椀の底にさまざまな材料を入れる。タイのホウレンソウ、刻んだ青ネギ、皮ごといぶしたニンニク、野菜の漬け物を少々、油で揚げた豚の脂、そして一口サイズに刻んだ大量のチャーシュー。タイ風フィッシュソースと酢を少々。麺とワンタンが茹であがると水を切って椀に移す。豚からとったコクのあるスープをかけ、油で揚げたワンタンの皮を上に載せて出来上がりだ。客は好みによって一味唐辛子、フィッシュソースと酢、生の唐辛子を漬けた酢などを加えて食べる。</p></p>

<p>数年前初めて食べてからというもの、私はこのラーメンにはまっている。私よりもバンコックに詳しい外人たちに訊いても皆口を揃えてこのラーメンが街で最高だと言う。その秘密はやはりスープにあるようだ。コクがあって食べた後の満足感を促するような味を出すのにも、彼は「味の素は使ってないよ」と念を押す。肉をほとんど口にしなかった（そして口にしたいとは思わなかった）３ヶ月間のインドの旅の間に、この「豚オンパレードの一杯」を夢見ることが何度もあった。このラーメンは夕食によし、夜食によし、時にはその両方にしても私は構わない。</p>

<p><img alt="0202_action.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0202_action.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">客層にはタイに詳しい西洋人のトラベラーも多い。その一人はタイにはこれまで１６年間訪れてきたタイ語と東南アジアの研究者だった。タイ語を操る彼に通訳を頼んでミスター・シッダウンにいくつか質問をしたのだが、彼はこの同じ場所で３０年ラーメンを作り続けてきたそうである。始めた当初はこの一角も密集していたわけではなく、数軒の家しかなかったのだが、そばにある市場で賑わっていたらしい。車やバイクもはしっていなかったという。当時は一杯２バートだったラーメンも、時が変わり３０バート（米ドルで７５セント）になった。最近は忙しい夜は大人になった娘が手伝いに駆けつける。だが、ラーメンそのものは変わることなく、毎日多くの客が食べに来て満足して帰ってゆく。</p></p>

<p><img alt="0202_hood.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0202_hood.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">夜中を過ぎるとしばらくの間ミスター・シッダウンの屋台に客が見られない時間帯がある。彼の休憩時間だ。ビールを飲んで近所を見渡す。少々飲み過ぎると目が眠そうにトロンとなる。夜明け前、運搬トラックの運転手たちが腹を空かせて市場に到着する。バンコックのどこかで飲んでいた外人たちも夜食を探してやって来る。中には、ミスター・シッダウンのラーメン目当てにわざわざ街の反対側からやって来る人もいる。タイでの旅の最後の夜、次の旅先あるいは祖国へ帰る前に美味いラーメンを食べてから、というトラベラーまでいる。店終いは朝３時。何人もの深夜の客が来る。彼は家に帰って眠り、明日またこの同じ場所で同じラーメンを作る。バンコックの風物詩のひとつである。</p></p>]]>
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    <title>エレクトロニクス・シティー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000116.html" />
    <modified>2005-01-25T07:22:19Z</modified>
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    <summary type="text/plain"> 昨年５月、私たちが旅に出たときにアメリカのハイテク産業におけるトレンドだったのは職場のポストを可能な限り海外へアウトソースすることだった。ハードウエアの生産は中国へ、そしてソフト開発のプロジェクトはインド、特にバンガロアへと送られていった。この街の名前はシリコンバレーの地方紙であるサンノゼ・マーキュリー・ニュースで頻繁に取り上げられていたし、社員が職場で交わす会話の話題になることも多かったため、そこがどんな街なのか、そこで何が起こっているのかについては深い関心があった。...</summary>
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    <dc:subject>インド</dc:subject>
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      <![CDATA[<p><img alt="0125_street1.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0125_street1.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">昨年５月、私たちが旅に出たときにアメリカのハイテク産業におけるトレンドだったのは職場のポストを可能な限り海外へアウトソースすることだった。ハードウエアの生産は中国へ、そしてソフト開発のプロジェクトはインド、特にバンガロアへと送られていった。この街の名前はシリコンバレーの地方紙であるサンノゼ・マーキュリー・ニュースで頻繁に取り上げられていたし、社員が職場で交わす会話の話題になることも多かったため、そこがどんな街なのか、そこで何が起こっているのかについては深い関心があった。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p>バンガロアにはインドの他の主要都市と同様、高級レストランやトレンディーなパブ、本物のブランドショップ、スタイリッシュなナイトクラブ、そして大きなショッピングモールがある。磨かれたヨーロッパ車が走り、ＭＧロード街の洗練されたライフスタイルショップは現地の買い物客で賑わっている。</p>

<p><img alt="0125_park.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0125_park.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">ここに着いてまず気づいたのは、聖なる牛が道路上を闊歩しておらず、そのお陰で糞を踏まないように気をつけながら歩くことなく周囲を見渡せることだった。「ガーデン・シティー」とも呼ばれるバンガロアにはインドの他の年に比べて緑と公園が多く、街の肺ともなっている。その結果、大気汚染は未だにあるものの、私が訪れた他の都市に比べるとそれ程悩まされることはない。私たちはラルバーグ植物園を楽しむ市民たちを眺めながら日曜日の午後を過ごした。ちょうど満開の花々に囲まれながら家族連れがピクニックをし、恋人たちが手をつないで歩いていた。</p></p>

<p><img alt="0125_forum.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0125_forum.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">また、この街では現地の人々に夕食に招かれる二度の機会にも恵まれた。彼らの職業はさまざまで、ソフト技術者、不動産開発者、美術の大学教授、生産系企業のビジネスマンなどだ。彼らとの和やかな会話を通じてバンガロアの現在について学ぶことが多かった。彼らの生活はヨーロッパやアメリカに住む人々の現代的生活と何ら変わることはない。この洗練された街は、彼らのような有能なプロフェッショナルに快適なライフスタイルと現代生活の便利さを可能にしていることが分かった。</p></p>

<p>昨今のハイテクブームによって、彼らは今風の環境で生活を営むことが可能なのだが、バンガロアを全体的な視点で見ると新たな現代化の波はその全てには及んでいないようだ。ハイテク化していると聞いていた街にしては停電はあるし電圧も不安定だ。インターネットカフェではＷｉｎｄｏｗｓ９８のベータバージョンや、良くてもＷｉｎｄｏｗｓ２０００の評価版が使われている。マシンにインストールされているソフトは頻繁にクラッシュするし、アクセススピードはケララ州のバックウォーターよりも遅い。「これが本当にインドのシリコンバレーなのか？」と私は考え込んでしまった。「バンガロアの噂はあれほど聞いていたのに、信じられない！」</p>

<p>バンガロアの中心街で用事を済ませようとすると、そうでなくても効率が悪いインドの中でも平均以下の場合もある。西洋のブランド商品が並ぶ高級商店街付近で小包を発送しようとしたときなどはインドでも最悪のケースとなった。コチなどの小さな町やアーメダバッドのような都市では、バンガロアで要求された込み入った手順を踏む必要などはなかったのだが。通常３０分もかからない国際郵便がここでは２時間半を要する悪夢のような体験をすることとなった。</p>

<p><img alt="0125_company.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0125_company.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">私たちは、近年の好況の恵みを得ることなく取り残された人々がバンガロア市内には多くいて、貧富の差が急激に広がっていることを目の当たりにした。貧しい人々が路上で物乞いするのを気にも留めず懐の暖かい人々が闊歩して通り過ぎる。この街に対する私たちの期待は、ものの見事に打ち砕かれ、バンガロアは埃っぽく汚れたインドの街の典型として私たちの目に映り始めた。ハイテク企業はそのほとんどが２０キロ離れたエレクトロニクス・シティーと呼ばれる地区に居を構え、バンガロアの中心とは一線を画した存在である。つまり私たちがバンガロアの姿を塗り替える機動力と考えていた企業と市の内部に存在するさまざまな問題とは接点がないのだ。</p></p>

<p><img alt="0125_crowd.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0125_crowd.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">バンガロアはインドについて多くの人が言う「この国は貧しい国ではなく、貧しい人々が多く住む国だ」という言葉を的確に反映した街だと思う。ニュースメディアは口を揃えて近い将来インドは世界をリードする経済大国になると報道しているが、それはこの国全体について言えることでは決してない。ハイテクブームや他の産業での成長がもたらす経済の繁栄によって、インドが予想されているようなステータスに達することになるとしても、それはごく限られた少数の人々にとってのステータスだ。インドの経済、現代化、そしてサクセスについて耳にすることは多いが、この人口１００億人のうちそれを味わえない人々がほとんどなのである。</p></p>

<p>過去３ヶ月インドを旅しながら痛感させられたのは、この国を一言、いや一行の文で表現するのが非常に困難だということだ。さまざまな表情とムードを持ち、それを理解したと思ったら一瞬のうちに豹変する。従って、インドの将来を思うとき、私たちはその動向を見守るしかない。このバンガロアという街については急激な変化が予想されると同時に、結局は何も変わらないだろうという予想も出来る。そしてインド全体についても全く同じことが予想できるのである。</p>]]>
    </content>
  </entry>
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    <title>ハンピで「ホームステイ」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.onelove.com/gfj_blog/000113.html" />
    <modified>2005-01-19T11:10:54Z</modified>
    <issued>2005-01-19T18:10:54+07:00</issued>
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    <summary type="text/plain"> ハンピはかつてインド史上最大のヒンズー帝国、ヴィジャヤナガルの首都があった土地にある観光地だ。この町のどこにいても望めるヴィルパクシャ寺院へと続く道ハンピ・バザールとトゥンガバードラ川の間にこぢんまりと納まっている小さな町である。今年のサンカランティ祭は、今月１３日と１４日に行われ、それを祝う多くの巡礼者たちがここ一帯に数ある寺院とトゥンガバードラでの沐浴にやって来ていた。低コストの宿泊を提供する多くのゲストハウスやダールマサラでリラックスするインド人と外来の観光客も加わって、この小さな町はかなりの賑わいを見せている。ハンピではそれでもゆっくりと時間が過ぎてゆく。訪れる人々もゆったりと周囲に広がる遺跡を探索している。私の場合、この町はマラリアが回復した後の休養地として最適の場所だった。...</summary>
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<p><p align="left">ハンピはかつてインド史上最大のヒンズー帝国、ヴィジャヤナガルの首都があった土地にある観光地だ。この町のどこにいても望めるヴィルパクシャ寺院へと続く道ハンピ・バザールとトゥンガバードラ川の間にこぢんまりと納まっている小さな町である。今年のサンカランティ祭は、今月１３日と１４日に行われ、それを祝う多くの巡礼者たちがここ一帯に数ある寺院とトゥンガバードラでの沐浴にやって来ていた。低コストの宿泊を提供する多くのゲストハウスやダールマサラでリラックスするインド人と外来の観光客も加わって、この小さな町はかなりの賑わいを見せている。ハンピではそれでもゆっくりと時間が過ぎてゆく。訪れる人々もゆったりと周囲に広がる遺跡を探索している。私の場合、この町はマラリアが回復した後の休養地として最適の場所だった。</p></p>]]>
      <![CDATA[<p><img alt="0119_river.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0119_river.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">周囲の環境はとてもユニークで、自然と人間が作り上げた驚きだとも言える。岩に覆われた地形とその間に点在する石彫刻に覆われた遺跡がまず全体的な色合いを定めている。巨大な岩がまるで巨人がばらまいたように危うく、美しく重なり合い何とかバランスを保っている。アリゾナ州のセドナやユタ州に見られるような風景と色だ。この地形の間にゆっくりと川が流れ、その西側には田んぼやバナナ農園やココナッツの林が淡い緑を添える。南側には岩をうがって彫り上げた寺院や石柱があり、その側面には初期のヒンズー教に見られる神々が洗練された技術で浮き彫りにされている。雲が少なく、青空が常にこれら全てを覆っている。日中は乾燥した鋭い日差しが暑く、何をする気にもなれない。私たちは日の出前後には起床し、朝食前に遺跡やバナナ農園や川の畔の畑を歩き回り、朝食後は夕方まで特に何もせずゆったりと過ごし、出かけたとしても大きなマンゴーの木の木陰でチャイを飲みながら寝そべるという生活を続けている。</p></p>

<p>宿泊しているのは、家族経営の宿泊所だが、ゲストハウスやホステルと言うよりも家族が住む家の一室と言った方がふさわしい。ハンピ・バザールから二筋ほど路地を入った所にあるこの家の周囲は一般家庭が住む現地の住宅地で、商店などは少ない。家の屋根からは繊細な石彫刻が白く浮かび上がる高さ５０メートルのヴィルパクシャ寺院塔を真傍に望むことが出来る。部屋は小さな窓とやたら堅い鉄製のベッドがあるだけのごく基本的なものだ。ほんの３０メートル足らずの路地にあるこの家の近所はお互い誰もが知り合いで何でもざっくばらんに話し合ったり井戸端会議をよく見かけるような、いわば長屋のような雰囲気だ。観光客目当ての売り込みたちが割り込んでこない静かな場所である。遺跡や周囲の環境の色合いが美しいこともさることながら、私たちが気に入ったのはこのご近所の人の良さと心地良さだった。</p>

<p><img alt="0119_design.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0119_design.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">この家族は柔和な笑顔を漂わせながらそれぞれの日課をこなしていく。奥さんは、門前の地面に広い砂を使って毎朝夕異なった幾何学模様の「ランガヴァリ」を描き、私たちの目を楽しませてくれる。多くの家の前でも二枚に描かれるこれらの模様は、シンプルなものから複雑なものまでバラエティーに富み、砂埃や動物の糞やゴミが目立つ歩道に美しいアクセントを添えてくれる。奥さんは、その日のランガヴァリを描いた後、香を焚き、鉢に赤、サフロン、白のティッカ粉を用意する。そして家中の扉と格子を掃除しながらそれぞれを香の煙で浄め、ティッカ粉で飾りを塗りつける。ご主人はどこかの銀行のマネージャで、毎朝９時半頃から丸１時間かけて熱心にヒンズー教のプジャ（祈祷）を行い、遅い朝食を食べて１１時頃悠々と仕事に出かけていく。奥さんはその日のお浄めの後も掃除、洗濯、洗い物、宿泊客の世話、ゲストハウスの掃除などに忙しい。息子はここから１３キロ離れたホスペットという街の商社で忙しく働く会社員だ。宿泊し始めて直ぐに私たちはこの家族とうち解け、ゲストハウス経営者と宿泊客との関係には留まらないお付き合いを楽しむことが出来た。</p></p>

<p><img alt="0119_sunrise.jpg" src="http://www.onelove.com/gf_blog/images/0119_sunrise.jpg" width="350" height="150" border="0" align="left" hspace="10" vspace="5" /></p>

<p><p align="left">息子のチャンドラがこの一帯で最も日の出が美しく見えるマタンガ丘に登ってはどうかと勧めてくれた。翌朝、彼は早起きをして、出勤前に丘の頂上までガイドしてくれた。奥さんが夕食に招待したいと言うので、ごちそうになった。チャパティ、バナナ・シカラニ（バナナをヨーグルトと砂糖であえたサラダ）、サンバー、スブジと呼ばれる野菜料理二種がテーブルに並んだ。何ヶ月も食べているレストランや食堂の料理とは全く異なり、やはり家庭料理は新鮮な食材と作る人の思いがこもっていてエネルギーが違う。夕食の値段を尋ねたら払う必要は無いという。私たちの狭い部屋では何も出来ないだろうと、母屋のダイニングルームを仕事場として使わせてくれた。リンの誕生日には朝食に彼女の好きなイドリとチャイも作ってくれた。一泊２５０ルピー（約６００円）という安い宿泊費が申し訳ないような待遇である。</p></p>

<p>３ヶ月近くインドを旅してきたが、知り合いがいない場所で現地の人々と金と商売が絡まない会話が出来る機会はごく稀である。この国でのフレンドリーな会話は我々が「暫く話していればそのうち何かを買う気になるだろう」というビジネスの期待が常にその背後にあるからだ。買わないと分かった瞬間にあれほど振りまいていた笑顔が消え去るのをインドでは何度も見てきた。すぐ傍のハンピ・バザールでもすでに何度経験したことだろう。それとない現地の人々との会話がいつの間にか売り込みに変わり、私たちが興味を示さないとコミュニケーションは遮断され、売り手の目はすでに次の獲物を物色している。それだけにこのハンピの家族のようにビジネス関係の枠を越えて、真にフレンドリーなコミュニケーションを通わせる機会に巡り会うと嬉しく、正にこれが予定より長くこの町に滞在することにした理由だ。ハンピはインド国内でもよく知られる観光地だが、一方では観光地であり過ぎるこの町でも、この親切な家族の家に泊まり、朝早い内に周囲の遺跡を探検するだけで、雑踏と呼び込みの声を免れることが出来た。その上で、ハンピは私たちが訪れたインドの多くの場所の中でも最も印象深い町だと言える。</p>]]>
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