2005年04月13日

新年水掛祭り

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タイの4月は夏の到来と共に新年も迎える。新年の行事は「ソングクラン」と呼ばれ、3日間の祝いに国中が沸き立つ。この休日の間、タイの人々は寺院に参拝して健康と商売繁盛を祈り、家族や友人たちと過ごし、旧年の罪を国中で行われる水掛祭りで祝う。お互いに水を掛け合い、タルカムパウダーのペーストを顔に塗り合うのが習慣だ。街を歩くだけで全身びしょ濡れになるのは当たり前だが、一年を通じて最も暑いシーズンにふさわしく、汗を流し涼むことが出来る点では歓迎すべきことだろう。

国中で水を掛け合いながら新年を祝う習慣はここタイだけではなくラオス、ミャンマー、カンボジアなど、主に仏教国で広く見られるものだ。まず寺院に参拝し、家族と静かな一時を過ごした後は皆が水掛けに熱中する。私たちにとってすでに親しみ深くなったバンコック市内このご近所もその例外ではない。

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水鉄砲はソングクランの初日である4月13日の数週間前からすでに商店に出回り始める。子供たちはその初日を心待ちにしていた。大人たちも自ら参加し、路上に大きなバケツを並べて水で満たし氷を入れて「攻撃準備態勢」を整える。そして友人や近所の顔なじみがいつ訪れてもいいように、大量の食べ物と飲み物を用意する。

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バンガルンプー街の中心にそびえる戦勝記念碑ではバンコック市役所が照明、色彩、音楽で美しい装飾を施した噴水を設置していた。テーマは水の守護神である聖なる蛇、ナガ。大きな蓮の花がその周囲にあしらわれている。ファンファーレの音楽が大音量で鳴り響き、カラフルな照明が飛び交う中、噴水が全体に動きを加えて、新年を迎える準備に忙しいバンコックの人々を魅了する。彼らはスペクタクルを繰り広げる噴水の周囲に集まり、興奮を高まらせている。この他にもバンコックの至るところで市によってオーガナイズされたイベントが行われ、料理、舞踏、音楽などタイ伝統の文化を披露していた。

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4月13日の朝は静かに明けた。が、正午までには近所一帯が喜々とした叫び声と笑い声に満ち、人々は水戦争のまっただ中にあった。カラオケマシンが路上に置かれ、すでに酔いの回った若者たちがタイや欧米のポップソングを熱唱する。スピーカーを歩道に持ち出してヘビメタ、タイの民謡、ヒットソングなどを休むことなく大音量で流す連中もいる。この道路全体がありとあらゆる音で振動していた。蛇口からホースを引き、液体の砲弾を大きなバケツに詰め込んで補充は絶えることなく行う。その横にはいくつものテーブルに大量の食べ物とドリンクが置かれていた。

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最初は誰もが例外なくずぶ濡れになるのだろうと思い、いつどこから氷で冷やした冷水を浴びるかと警戒したものだった。時間が経つにつれて路上の状況がかなりエスカレートするのではないかとも考えた。しかしタイ人はその点よく心得たもので、一見混乱した祝いの中でも基本的なルールだけは忘れることがなかった。安全なゲストハウスのダイニングエリアから見ていると、想像していたよりもはるかに礼儀正しくお互いを扱っている。お年寄りや僧たちには必ず合掌しながら新年の挨拶を送り、許可を得てから差し出された手の上に水を掛ける。水を掛けられた人の中には伝統的な新年の挨拶を感謝する者もいる。大騒ぎの中をバックパックを担いで到着したトラベラーたちも水をかぶることはなかった。もちろん、彼らがゲストハウスにチェックインして一息つくまでのことだが。水掛けとタルカムパウダーは路上だけのものであって、家の中や食べ物を売る屋台には影響を与えないこともわかった。

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この近所の人々全てが水掛けに参加していた。他のご近所から「兵士」と「砲弾」をトラックの後ろに載せて攻撃に出るものもいる。ゆっくりと走るトラックが通るたびに大量の水が飛び交い、フレンドリーな応酬の中、路上は屈託のない笑顔と大きな笑い声で一杯になる。最初はただの傍観者だった私たちも我慢できず、水着に着替えて参戦した。ゲストハウスのスタッフ、いつも道の向かい側で料理を作ってくれる屋台の女の子たちを始め、通行人や見覚えのある近所の人たちと早速水を掛け合って瞬時にしてびしょ濡れになる。不意をつかれてタルカムパウダーを顔中に塗りたくられることもしばしばだ。淡い線香のような香りと肌に涼しい感触が嬉しい。近所をただ歩いている人たちも含め、いつしか皆が雨に濡れた部族集団のような様相を呈していた。タイに新年がやってきた。

Posted by taro at 15:22 | Comments (1)

2005年02月12日

タイを学ぶ

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バンコックの勝利記念碑から高架電車タナヨング(BTS)に沿って南北に走るパヤタイ・ロード。その一角に立つオフィスビルの側面を巨大なバナーが覆っている。現タイ国王、ラマ9世の肖像写真がハンサムに映る。遠くからでも容易に読める英語の見出しが「最も偉大な国王」と宣言している。国王の目は厳しさを帯びながらも優しく、タイ王国の明るい未来を見定めているかのようだ。事実、国王と王妃の巨大な肖像は大通りばかりではなく市内の至る所に見られる。彼の肖像は、時には王室の正式な軍服をまとって国民への奉仕を象徴し、時にはポロシャツとカジュアルなスラックスに愛用のカメラを首から下げた姿で国民にとって身近な存在であることを表現している。そして私たちは、バンコックを訪れるたびにタイの人々の国王への深い想いを感じる。

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これはタイ国内に限られているわけではない。海外在住のタイ人は祖国から遠く離れていても国王への愛情を持ち続けている。タイ料理の店に行かれた方は、店内の壁のどこかに国王と王妃の写真が掛けられ祀られているのをご覧になったに違いない。国王のタイ国民に対する誠志な想いと愛情が、国民の彼に対する愛情に反映されているのだ。

1970年代以来20年に渡る不安定な政情の後、タイは民主主義国家となり、現在国王には政治的権限は無い。国王は大きな混乱と多くの人々の流血を回避するために政治権力を国民に譲渡した結果、タイは民主主義社会となった。この時、国民の意志を誠実に受け入れた彼の行動は、人々が彼を尊敬して止まないことの数多い理由のひとつでもある。

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国王の宮殿を囲む壁に沿って、その内側に王室の地所とはまるでイメージが違う建物や牛舎、グリーンハウスなどが立ち並んでいる。そこは、国王が農業から現代産業の各分野で学習と実験を自ら行っている研究施設なのだ。タイの人々にとって有益なものとなる新たな発見があると、国王は王室直属の機関を通じて人々に「進言」し、多くのプロジェクトが成功している。例えば、彼の用水と土地使用に関する研究(国王が得意とする分野だと言われる)を基にバンコック郊外に貯水池と水路が建設され、かつて市内に多くあった水路の埋め立てが原因で頻繁に起こるようになった洪水が減少するという結果を生んだ。また、タイ北部の山々に住む少数民族に利潤の多い野菜や果物の栽培を奨励し、村人たちのアヘン栽培依存を減少させた。国民の肥満症を案じた国王は、誰もが参加できる習慣的な運動を広めるため、毎日夕方6時に国中の公園や広場などでエアロビクスを実施している。

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王室が人々の間で広く尊敬されると同時に高く評価されているため、タイ国民が王室の悪口を言う理由はあまり無い。イギリスや日本のロイヤルファミリーに見られるゴシップも無い。特に国王と王妃は文字通り神様のように崇められていると言っても過言ではないだろう。「現国王と仏教無しには今のタイは語れない」とも言われる。王室に対する無礼な言動が法によって禁じられているという事実があるにしても、この法律を自らの意志で犯すタイ人はまず見かけることがない。国王の肖像をかたどる物は全て神聖なもの(またはそれに近いもの)とされ、それにはもちろん印刷物とタイの紙幣も含まれる。例えばインドやアメリカでは破れたりすり減ったりボロボロになったお札が多いが、タイ人がお札を粗末に扱うことはない。タイの紙幣とコインは、その全てに国王や王妃の肖像が描かれているため常に丁重に扱われるのである。あるタイ人の男性に10バートコインの女性は誰だと尋ねると、彼は愛情をこめて大声で答えた。「あの方は私の王妃様です!」

このタイ王国を訪れるたびに、私たちはタイの文化の複雑さを感じさせられると同時に、少しずつではあるがより多くを学んでいるとも思う。この一週間の間に、私たちは幸いにも近所に滞在しながらタイの言語、文化、歴史を研究している人たちに出会うことが出来た。蒸し暑い夜遅く、一緒に飲みながら聞く彼らの話は、この国の習慣や伝統の知識に富んでいて非常に興味深い。

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例えば、タイ人の友達には絶対に刃物類の贈り物をあげてはならないという習慣を学んだ。刃物は友情関係を断ち切るという意味があるそうだ。もっとも、それを意図する場合は仕方がないことだが。赤インクで手紙を書いてはならない。赤い文字は死者に送るものだからだ。挨拶にも見ただけでは分からない複雑なルールがある。タイの人々は合掌して挨拶をすることがあるが、相手と場合によっては相手に身の狭い思いをさせてしまうことになってしまう。従って、我々外来者は勝手構わずそのような挨拶することをせず、相手のタイ人が合掌したときのみそれに合わせて挨拶を返すのがいいだろう。または、外来者は外来者らしくいつものように挨拶をする方がいいのかも知れない。

ある日の午後、私は町中の混んだ歩道を歩いていたのだが、そのとき一人の男の子が目の前に飛び出してきた。私はその子の背後に位置していて、誰かが後ろにいるという意味でその子の頭に手を当てて彼の注意を誘った。頭に見知らぬ人の手を感じた子供はいかがわしい表情で私を見た。タイでは他人の頭を触れるのはタブーである。頭部は身体の中では最も尊い部分とされ、生命力が宿る場所と考えられているからだ。またある日、ミシガンから初めてアジアを訪れたという若者がレストランで足を組んで座り、裸足の足の裏を無意識にウエイトレスに向けていたことがあった。それを見たウエイトレスの表情は即座にこわばり、足が向いていた方向から早足で去っていった。尊いとされる頭に対して足は不浄。それを人に向けるのは失礼だし、さらに僧や仏像に足をむけることは完全な非礼となる。

この他にもタイ文化のユニークな特徴がいろいろある。タイでは異性に興味を持たない男性に対する人々の姿勢が非常に大らかで、差別は全くないと言っていい。私たちが泊まっているゲストハウスの傍には技術系の大学があり、平日はその一帯が大勢の生徒で混雑する。道ばたの屋台に仲間同士集まって座り、パッドタイやサテーを食べジュースを飲みながら話し合っている光景はこの近所の日常だ。それに混じってコーヒーを飲んだり食事をしながら男女混じり合って雑談している学生たちを見ると、女装している男の子が多いのが目立つ。東南アジア系の細身にぴったりとした女学生の制服を着て少々化粧もしている。男だと分かるのはハイヒールのサイズが大きいことや手の大きさによるくらいなものだ。「カトイ」と呼ばれる女装男性たちは、タイのエンターテイメントの世界では長年の間築き上げられてきた確固たる存在で、人々の間では広く受け入れられている。これらの若い男性たちはそのオープンで大らかな環境の中で自由に自己表現できるのだ。

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タイは、今までに繰り返し訪れてきたという個人的な理由で私たちにとってはユニークな存在だ。インドから帰還した今回の入国を含めるとこれで5回目、来るたびにこの国とその文化について少しずつ知識を深めていると感じている。新たに知る情報は、それぞれがいかに些細なものであっても、この国だけではなくいかなる文化について常に何か新しいことを学ぶことが出来るものなのだというむしろ当たり前のような教訓を想い出させてくれる。この事は、どんなカルチャーを知る上でも常に目と心を開いていなければならないということでもある。この単純な事実は、おそらく文化を学ぶという行為の原則なのだろうと思っている。

Posted by taro at 16:36 | Comments (1)

2005年02月02日

「ミスター・シッダウン」

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彼の本名は知らない。いつか尋ねる気になるかもしれない。それまでは「ミスター・シッダウン」というあだ名で彼を呼ぶことにしている。毎日夕方6時頃、彼の黒いおんぼろトラックが角のセブンイレブンの真ん前に停まる。そこが彼のスポットである。暫く道具を並べたり準備したりした後、トラックの後ろでラーメンを作り始める。夕食の時間だ。腹を空かせた近所のタイ人たちが群がってくる。バンコックを訪れるときはいつもここが私たちのご近所さんとなる。私が彼の屋台へ食べに行くときばかりではなく、ただセブンイレブンへ行く道でまえをとおりかかるだけでも、彼は笑顔になりあの優しいタイ訛りの英語で「シッダアァァウゥゥゥン」と手招きする。これが私がこの愛すべき老人のあだ名の由来だ。そして彼のタイ風ラーメンは最高に美味い。

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一杯のラーメンを作る最初のステップは麺とワンタンを茹でることから始まる。バンコックでラーメンが食べられる屋台では、普通細い米麺、太めの米麺、中華麺、そして(なぜかは理解に苦しむが)インスタント麺などから数種類の麺から選ぶことが出来るのだが、ミスター・シッダウンは中華麺だけを使う。一杯に4個入れる自家製のワンタンは豚肉入りだ。次に椀の底にさまざまな材料を入れる。タイのホウレンソウ、刻んだ青ネギ、皮ごといぶしたニンニク、野菜の漬け物を少々、油で揚げた豚の脂、そして一口サイズに刻んだ大量のチャーシュー。タイ風フィッシュソースと酢を少々。麺とワンタンが茹であがると水を切って椀に移す。豚からとったコクのあるスープをかけ、油で揚げたワンタンの皮を上に載せて出来上がりだ。客は好みによって一味唐辛子、フィッシュソースと酢、生の唐辛子を漬けた酢などを加えて食べる。

数年前初めて食べてからというもの、私はこのラーメンにはまっている。私よりもバンコックに詳しい外人たちに訊いても皆口を揃えてこのラーメンが街で最高だと言う。その秘密はやはりスープにあるようだ。コクがあって食べた後の満足感を促するような味を出すのにも、彼は「味の素は使ってないよ」と念を押す。肉をほとんど口にしなかった(そして口にしたいとは思わなかった)3ヶ月間のインドの旅の間に、この「豚オンパレードの一杯」を夢見ることが何度もあった。このラーメンは夕食によし、夜食によし、時にはその両方にしても私は構わない。

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客層にはタイに詳しい西洋人のトラベラーも多い。その一人はタイにはこれまで16年間訪れてきたタイ語と東南アジアの研究者だった。タイ語を操る彼に通訳を頼んでミスター・シッダウンにいくつか質問をしたのだが、彼はこの同じ場所で30年ラーメンを作り続けてきたそうである。始めた当初はこの一角も密集していたわけではなく、数軒の家しかなかったのだが、そばにある市場で賑わっていたらしい。車やバイクもはしっていなかったという。当時は一杯2バートだったラーメンも、時が変わり30バート(米ドルで75セント)になった。最近は忙しい夜は大人になった娘が手伝いに駆けつける。だが、ラーメンそのものは変わることなく、毎日多くの客が食べに来て満足して帰ってゆく。

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夜中を過ぎるとしばらくの間ミスター・シッダウンの屋台に客が見られない時間帯がある。彼の休憩時間だ。ビールを飲んで近所を見渡す。少々飲み過ぎると目が眠そうにトロンとなる。夜明け前、運搬トラックの運転手たちが腹を空かせて市場に到着する。バンコックのどこかで飲んでいた外人たちも夜食を探してやって来る。中には、ミスター・シッダウンのラーメン目当てにわざわざ街の反対側からやって来る人もいる。タイでの旅の最後の夜、次の旅先あるいは祖国へ帰る前に美味いラーメンを食べてから、というトラベラーまでいる。店終いは朝3時。何人もの深夜の客が来る。彼は家に帰って眠り、明日またこの同じ場所で同じラーメンを作る。バンコックの風物詩のひとつである。

Posted by taro at 14:27 | Comments (1)

2004年10月12日

シーズン前

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観光シーズンを迎えようとしているコ・ランタ(ランタ島)では未だに雨が多い。この島は、リゾート地として有名なプーケットやピピ島の南、クラビ県に位置する。島の西側は砂浜が多く、ビーチに沿ってリゾートホテルやカジュアルなバンガローが建ち並んでいるが、ハイシーズンではないせいか今のところひっそりとしている。東側には砂浜は無く、マングローブが水辺まで生える海岸線が主で、小さな漁村が点在する。その中で最も大きな村がオールド・タウン・ランタと呼ばれる集落で、私たちはそこに住む友人を訪れることにした。

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ここでのハイシーズンは毎年11月から5月。西側ではシーズンを前にホテルやバンガローの改築、増築、修理などで忙しい。雨期の盛りはそのような仕事は全くはかどらず、シーズンに入ってしまうと接客に追われるため、多少雨は降るが晴れる時間もあるという今が準備期間なのだ。東側に住む漁民たちには観光のハイシーズンなどは無く、今はただ雨期だというだけだが、彼らも家の修理や改築に忙しい。この時期風が吹く方角は一定しておらず、雷雨やスコールはいろんな方角からやって来る。早朝から午後の早い時刻は何とか晴れるが、午後から夜にかけての天気は不安定になる。

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オールド・タウンの夕暮れのひととき。雨雲がどこからか近づいて来て(あるいは雷雨が去った後に)夕日に照らされると、身の回りのもの全てが暗いオレンジ色に映える。雲はもちろん、海や他の島々、水際に立つマングローブの木々、人々の顔、山を覆うゴムの木やココナッツ、バナナ、マンゴーなどの葉、村の家々、そして熱帯の空気までがこの色に染まっているかのように見える。山の麓の森からはカエルや虫の声が聞こえ始める。

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島の西側での夕日は素晴らしい。雲の無い夕日も素晴らしいだろうが雲が多いときの夕焼けは、文字通り天に火が点いて燃えているような光景を演出する。私たちの目は沈む太陽そのものよりも夕日に映える雲を追い、そこにくり広げられる黄金のドラマに言葉を失ってしまう。砂浜近くに住む漁師たちは、ちょうどその頃になると夜の漁を求めて船を出す。沖を目指す彼らの船のシルエットがオレンジと赤の間にわずかに見え、そして島は夜を迎える。

雨期について島に住む人々はまんざらでもないようで「涼しい時期だ」と言ってむしろ嬉しそうだった。島を走る道路がぬかるんで車やオートバイの運転は困難になるが。私たちにとってもこれらの光景はちょっとした拾いものだったかも知れない。寝て食う以外に何かする事があれば(私たちの場合はフュージョン・ジャーナル第二号の編集だった)、常夏の島の雨期も悪くはない。

Posted by taro at 17:43 | Comments (2)

2004年10月06日

カオサン・ロードの今

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カオサン・ロード。タイを訪れるトラベラーなら必ず一度は行くバンコックのスポットである。タイへ行ったことがない人も、アレックス・ガーランドの小説、「ザ・ビーチ」や、その映画化でレオナード・デカプリオ主演のハリウッド映画「ビーチ」のロケーションとしてご存じかも知れない。この通りはほんの2ブロックほどの短いもので、昼間は二車線の車道が走っており、夕方には歩行者天国となって街路そのものがクラブ化する。

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道の両側にはホテル、ゲストハウス、レストラン、クラブ、コンビニ、土産店、旅行代理店、インターネットカフェ、本屋など、ありとあらゆるトラベラー対象のビジネスがぎっしりと建ち並んでいる。さらに土産物、食べ物、ドリンクを売る屋台が車道にまで溢れていて、その間を主に欧米人と日本人の旅行者たちが忙しく動き回っている。カオサンだけではなく、その周囲一帯も同じような様相だ。

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以前、この場所は東南アジアやインドを旅する人々の休息地であり、情報交換の場であり、さらに必需品を補給する場所だった。いわば、バックパッカー天国であった。今は数日間のバケーションをタイで楽しむ旅行者たちがバンコック滞在の間に買い物やパーティーを楽しむ観光地であるという印象が強い。幸い今の所は団体客がバスで押し寄せることは無い。

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この通りを闊歩する人々の多くはパックパッカー風にタイ、インド、ネパールのファッションとアクセサリーを身につけていて、見た目には観光客とバックパッカーの区別がつかない。彼らの本国では着るチャンスがまず無いようなフィッシャーマンズパンツ(タイの漁師が着るパンツ)は、カオサン・ロードでは定番中の定番で、まるでユニフォームのようだ。屋台でタイフードを買い、ビルの石段にずらりと並んで座って夕食を楽しむトラベラーのほぼ全員が色とりどりのフィッシャーマンズパンツを穿いている光景は珍しくない。ただ、今やここに集う人々の大半を占めるバケーショナーたちはどこかこざっぱりと清潔だ。

最近の変化を嘆くバックパッカーたちも居るだろうが、私は過去への執着は感じない。以前に比べて仲間同士、恋人同士で遊びに来ている現地のタイ人の若者たちが非常に多くなったのが目立つ。タイの人々はあくまでも観光客相手に商売する立場、欧米人や日本人は客、という方程式が一掃され対等に近い交流の場が生まれつつあるように思う。

Posted by taro at 21:39 | Comments (0)

2004年10月01日

バンコックの笑顔

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タイは多くのトラベラーが訪れるだけでなく、周囲の国々を旅する人々にとって休息の一時を提供する所でもある。その理由には他国との交通が整っていることや、タイ国内での旅の便利さ、文化などもあるだろうが、タイの人々が生み出すある種の安心感が旅人を引き寄せているように思えてならない。昆明からわずか二時間弱でバンコックに到着した私たちは、瞬時にして肩の力が和らぐのを感じた。

この旅のオリジナルプランでは、この時期ここバンコックに来ることは計画してはいなかった。チベットからヒマラヤ越えでネパールに入り、さらに南下してインドへ向かう予定だった。ネパールには1999年に訪れて素晴らしい体験を得ることが出来たのだが、ネパールの不安定な情勢がその時の思い出にも影を落とす可能性があることと、チベット入境時には中国?ネパール国境が閉鎖されていたことなどから予定を変更、タイで一ヶ月過ごすことにしたのである。

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バンコックに来たのはこれで四回目。最初は1996年、そして前回は五年前、ネパールからアメリカへ帰国する途上で一週間滞在した。そして今回、この街を徒歩やバスで回って感じたのは、バンコックは今やワールドクラスの都市に成長したという確信だった。

以前は真っ黒な噴煙をまき散らしながら走っていたタクシーやトゥクトゥク(三輪バイクタクシー)やトラックは、今は条例によって新しいマフラーの使用が義務づけられ、歩いていてもそれ程苦にならない。タクシーはほとんどが新しい車種でしかも冷房完備。以前は本物のブランド商品を売る店は少なく、しかもタイ人の客はごく稀だった。現地の人々は主に氾濫するブランド銘柄の海賊版を買っていた。今回驚いたのはショッピングセンターに本物のブランド商品が並び、一般のバンコック市民が客層を占めていることだ。(コピー商品が無くなったというわけでは決してないが。)

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そしてビルの現代化と高層化は今も着々と進んでいる。街の衛生状況は向上しており、先日まで居た中国の主要都市に比べても明らかに勝っている。交通渋滞は相変わらずだが、前回は工事中だったBTSが走り、今年の八月には地下鉄も開通した。もちろん発展途上国と呼ばれる国の特徴も残ってはいるが、今はむしろそれが愛嬌のようにも感じてしまう。

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しかしこの都市開発がもたらした変化は、現在世界中で行われている都市の現代化に比べると必ずしも急激なものではない。バンコックの場合、その変化はゆっくりと時間をかけて向上している印象がある。これは私たちが持つある種の偏見であろうか。そして何よりも現代化に伴うストレス度の上昇によって人々の顔が緊迫した頑なな表情に変わることはなく、このコスモポリタンに住むタイの人々は今も大きく、ゆったりとした笑顔を見せてくれるのである。今後、さらに現代化してゆく間も、タイの大きな魅力であるこの吸い込まれるような笑顔だけは残って欲しいと私たちは望んでいる。

Posted by taro at 00:51 | Comments (3)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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