2005年04月04日
砂塵の彼方へ

シエムリープの4月は耐え難い乾燥した猛暑に覆われていた。町の道路は埃っぽくて汚い。路上に住む子供たちがそれを如実に反映していた。赤ん坊を抱えた母親たちは観光客が集まるレストランの直ぐ前に立って小銭をせがむ。この町の人々は皆どこかとげのある態度を持っていた。暗い過去を背負った国が未だに漂わせるムードなのか、それとも継続的な貧困のせいなのか。4月を迎え、この町の観光シーズンは終わろうとしていて、高級ホテルの窓のほとんどに灯りが点ることはない。観光市場向けのサービスは欧米、日本対応の価格で高い。現地の人々が立ち寄る屋台さえもが外人用の値段表を用意している。私たちはこの町に着いたばかりなのだが、この町とはどうも相性が悪いようだ。

ここに来た理由はもちろん世界の7大驚異のひとつ、アンコール・ワットである。バンコックには幾度も訪れてきたにもかかわらず、タイの近隣国であるカンボジアまで足を延ばしたことはなかったが、今回ここを訪れることは私たちの計画中でも優先度の高い訪問だったのだ。バンコックからシエムリープへ向かうには飛行機で飛ぶのが簡単(お勧め!)だが、そうしなかった私たちにはここから再びバンコックへと戻る旅程を残しており、それを考えただけでも意気消沈するような、地獄のような行程でここへやって来たのである。
お世辞にも楽しいとは言えないバンコックからシエムリープへの旅は、しかし、安かった。片道5ドル以下なのだ。飛行機の場合は一人当たり往復200ドルかかる。格安とあって時間のかかることと乗り心地の悪い点については天下一品だった。バンコックを発ってタイとカンボジアの国境町、ポイペットに着くまではタイの現代的なハイウエーのお陰で楽な旅だった。ドラえもんが大きく描かれたエアコン着きバスが、ナンバープレートの更新をしていなかったために警察に止められるというハプニングはあったものの、すんなり国境に到着。出発してから僅か5時間だった。

タイ出国、カンボジア入国の手続きは幸いにも1時間ほどで完了し、フレンドリーなタイ人の運転手にさよならを言ってカンボジアに入った。が、そこで全てががらりと変わる。カンボジア側の世話人は、理由もなく苛立ち、怒り心頭に走った男で、そんなにこの仕事が嫌ならさっさと辞めろと言いたくなった。その男は、聞き取りにくい英語を大声で喚き散らしながら、入国したわれわれ外人グループを集め、そして暫く待たせた後でシエムリープ行きのポンコツのミニバスに私たちを押し込んだ。ヘッドライトとブレーキが機能していたのが不幸中の幸いだった。道路は舗装工事を途中で辞めてしまったような酷い状態で、視界が常にブレ続け路上の土埃で呼吸が出来ない有様は正にモンゴルの悪夢の再現だったと言える。窓の外には広大で平坦な農期が終わった畑が延々と広がり、あると言えばほんのまばらに点在する農家と木が淋しそうに立っているだけだ。
一方、運転手は乗客の印象などに構ってはいない。彼(またはカンボジア側の旅行会社)の意図はシエムリープに可能な限り遅く着くことなのだ。出発して僅か1時間後には平原のただ中にあるレストランで停車し、彼は一時の仮眠と休憩をとる。その2時間後、小さな集落で再び停車。道路に面している全てのものが砂埃に分厚く覆われているような村だった。バスが止まると同時に若い女の子たちが絵葉書、フレンドシップ・ブレスレット、冷たい飲み物などを掲げて私たちを取り囲む。表面的には欧米人と楽しく英会話のレッスンを交わし、笑い声を上げる彼女たちだったが、何も売れないと分かるとその笑顔が歪むのも早かった。
シエムリープにようやく着いた頃には私たちは疲労困憊していた。14時間の旅の終着点は、前もって話が付いているゲストハウスだった。疲労のあまりそこに泊まる乗客を想定してのことで、運転手のコミッション目当てが理由だ。一応部屋は見せてもらったが、案の定高いレートを理由に丁重にお断りして暗い町へと向かう。夜も9時を過ぎ、タイ側で昼食を食べてからは何も食べていない。長い旅の後、何も知らない町でその夜の宿を探すのは常に憂鬱なものだ。が、その一方でシエムリープの観光開発は過剰で選択肢には事欠かなかった。

何も良いところがないような町だが、そんなところでもほのかな希望はある。ここにはカマー・ルージュの虐殺を逃れた孤児や彼らの子供たちが集団生活するコミュニティーがある。町の郊外にはキリング・フィールド記念公園とそれを囲む寺院があり、それに寄り添いながら癒されているようにその集落はひっそりとたたずんでいた。そこに住む人々は貧しく、掘っ建て小屋に住みながらも、何とか生き抜こうとしているようだった。何千という地雷が今も武装解除され続けている国の現実だ。ここでは、僧や外来のヴォランティアたちが、語学力が少しでも彼らの将来に役立つようにと子供たちに英語、日本語、フランス語などを教えている。この町独特の苛立たしさは別として、カンボジアは深い傷とトラウマを振り切ろうともがいているように思う。このコミュニティーはそんな姿勢の一例のように見えた。

事実、カンボジア全般は出会う旅人たちの間では非常に良い。「東南アジアの隠された宝」と呼ぶ人もいる。シエムリープに蔓延する観光開発や個人旅行者たちへの町の扱いなどで苦い思いをしている私たちにとって、今回この国の他の場所を訪れることが出来ないのが残念でならない。果たしてそれ程までの疲労とフラストレーションを感じながら、ここへの旅は価値があるものだったのだろうか?と自問することもあるほどだが、その答えは「アンコール・ワットはそれでも素晴らしい!」なのである。どのように素晴らしかったのかは、別の機会(フュージョン・ジャーナル第6号)でお知らせすることになるだろう。
