2005年02月23日

ミャンマーの人々

0220_women.jpg

ミャンマーにもっといたい。出国の数日前、私はそんな思いを抱いている。ミャンマーでの私たちの旅はスケジュール的にはかなり忙しいものとなり、限られた時間で回るために行程も典型的な観光ルートになってしまった。ヤンゴンから15時間夜行バスに乗ってマンダレイへ、そこからアイェヤルワディ川を船で遺跡の町バガンへと下り、そしてミャンマーの北東部にあるシャン州にある湖、インレ湖へとやって来た。そしてこの後ヤンゴンへと戻るのだが、この国の見どころをじっくり味わいながら回るには私たちの2週間の旅程は明らかに短い。しかし、ここにもっといたいと思う第一の理由はミャンマーの人々に他ならない。

0220_market.jpg

この国の観光は中国、タイやインドのようにフルに開発されてはいない。そのためか人々が観光客慣れしていないというのが良い。私たちを客と見て寄ってくる人たちはアプローチの際も、断って退くときもフレンドリーさとあきらめの良さがある。マーケットの闇換金の勧誘はしつこくないし、どこの国へ行っても問題が多いタクシーの運ちゃんも、多少交渉する必要はあっても実にあっさりしたものである。土産物屋の店員たちも接客はガツガツしたところがなく、客が買わなくても中国でよく見たように後ろを向いて顔をしかめ舌打ちすることもない。観光客が急増しているインドでは外人を見かけるのが珍しくないはずの観光地でさえもジロジロと見られたが、ここではそんなこともない。見られているにしても、目つきが「舐めるようなジロジロ」ではなくてどこへ行っても「人なつっこく眺める」という感覚なのだ。目が合って相手が無表情でもこちらから微笑みかけると、決まって恥ずかしそうに、そして嬉しそうに笑顔を返してくれる。このような環境では金が絡むことのない場面でも現地の人々と会話や文化交流がしやすい。

0220_games.jpg

加えて外国語に長けている人が意外に多いのも会話の質が高いことの理由だ。(ミャンマーはかつてイギリスの植民地でもあった。)私たちの旅は個人旅行だが、現地で出会った人々の中にはプロのガイドが多くいて、彼らとのうち解けた和やかな会話からこの国について多くのことを学ぶことが出来た。ミャンマーで外人相手のガイドになるには免許取得を必要とする。(ここで言うガイドとは、一般の運転手やインレ湖の船頭など客を連れて町や湖を案内する人々とは異なる。)免許取得には英語を始めとする外国語に加えてミャンマーの歴史や観光地とその周辺の知識が問われる試験を通過しなければならない。若い世代の間ではガイドは魅力的な仕事のひとつのようである。

その中に一際面白い男がいた。秀才肌の男で、留学したわけでもないのに堪能な英語をペラペラと話し、かなりのヴォキャビュラリーを持っていた。国の各地方の知識にも長けている。どうやってあれだけの英語を習得したのかという質問に、彼は「仕事がない時は必ず数時間CNNとBBCを観る。以前は辞書を片手に苦労したけど今はそんな必要もなくなった。あとハリウッド映画もDVDでたくさん観るよ。スラングや会話の仕方を学ぶのに最高なんだ。英語版の新聞も手には入ったら必ず読むようにしている。」どおりで今の世界情勢にも詳しく、アメリカや日本について突っ込んだ質問をしてくるはずだ。

彼によると、海外からマスコミを通じて入ってくるニュースはセンサーシップ無しで入ってくるという。ハリウッド映画もカット無し、モザイク無しで「ノープロブレム」なのだそうだ。「音楽だって同じ。汚いスラングが入ったヒップホップもオッケーだよ」と、彼は冗談交じりに言った。ミャンマーの政府は人々の生活に直結した問題を少しずつではあるが解決してきており、貧富の差はあるにしても現在は大きな問題ではない。国全体の生活水準も高まってきているようだ。ミャンマーは少しずつその扉を世界に向けて開きつつあるが、その過程がゆっくりなのはあくまでも混乱を避けるためのものだと言う。確かに腐敗はあるが、政治には腐敗はつきものだしそれはこの国に限られたことではなく、アメリカだってそうだろう、とも。

0220_fisher.jpg

インレ湖は、湖上の高床式家屋に住む人々が村を形成して活気ある生活を営むことで知られている。ニュアングシュエは、湖畔に位置し多くのツーリストが訪れるところでもあるが、町自体は未だに静かで、そこでは時間がゆっくりと過ぎてゆく。現地の人々が住む一帯を歩き回ると、そこで繰り広げられている彼らの生活をつぶさに見て取ることが出来る。彼らは古くからある基本的な価値観を今も保っている。コミュニティー内での相互援助と協力、そして真の意味での「家族の価値」がそこにはある。日常生活の核としての家族観はどこにも明らかだ。年上の子供たちが年下兄弟姉妹の面倒を見、世話をする。子供は皆家事手伝いをする。年寄りは体力が続く限り若い世代と共に働き、愛情とふれあいを与えながら知恵と知識を次の世代へと伝える。これらの基本的な言動がここではごく自然に行われている。家族内で見られるこのような姿勢は近所の人々やその一帯のコミュニティーへも広がっている。どこにでも共通しているのは笑い声と歌声である。

ミャンマーの人々は歌が大好きである。民謡、今流行のラブソングやロック、アメリカのポップソングなどを大きな声で歌う。道を歩いたり自転車に乗るとき、木陰でリラックスするとき、店番をしているときなど、何をやっていても自然に歌い出す。彼らの生活は確かに楽なものではないだろうが、その歌声は人々の心の内にある幸福を知らしめるものだと思う。そうでなければ、日も暮れて満月に照らされた夜の道で仕事帰りの人々があれほど楽しそうに歌を歌えるはずがない。

0220_lovers.jpg

私たちのミャンマーでの旅は短かったものの、その間に意外なほど多くの現地人たちと話し合うことが出来た。親しみやすく好奇心ある人々の気性と彼らの英語能力がそれを可能にしたようだ。前述の英語が堪能なガイドの男は、「ミャンマーの将来は明るい、それがこれから先100年かかるとしても、この国は立派な世界が認める国になる」と言って微笑んだ。政府自体が世界の非難を浴びている一方で、この国の人々が驚くほどの人間性を保って生きているのを見て、ミャンマーの明るい未来と世界的な認識よりも、むしろ私はこの人たちの今のあり方を世界は認識すべきだと思う。私は出来れば近い将来再びここを訪れたいとすでに考えている。

Posted by taro at 09:55 | Comments (0)

2005年02月17日

来て良かった

0214_nuns.jpg

旅先として考えるミャンマーという国は困惑と議論に満ちた国である。マスコミはこの国について独裁的で全てを牛耳る軍事政権や、民主化運動の功績でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スウ・チー氏の勇気ある活動、人権損害の行為、さらに充満する腐敗などを取り上げている。インターネットの掲示板や著名ガイドブックでは「ミャンマーを訪れるべきか、否か?」についてその長所と短所が繰り返し討論され、分析されている。これについての私たちの考えは、「何とも言えない。が、私たちは自分の目でそれを確かめ、自分自身の意見を構築したい」である。今、私たちはミャンマーにいる。そして、到着直後の印象が様々な形で私たちの中に生まれ始めている。

ヤンゴン国際空港での入国手続きは至ってスムーズだった。移民局の担当員はビザをチェックしただけでパスポートにスタンプを押し、税関のオフィサーは荷物の点検もせずただ笑顔で私たちをこの国に迎え入れてくれた。この旅に出発する前にアメリカの友人たちはパソコンの持ち込みに関しては気をつけろと言ってくれたのだが、彼らのアドバイスは過去のものでパソコンやビデオカメラ、その他の電気製品の持ち込みに関する制限は暫く前に解除されていた。

0214_teaguys.jpg

入国して直後に出くわした難点は換金だった。現地の通貨はKyat(「チャット」と発音する)だが、訪問者の立場ではミャンマー国内どこでもこのチャットがアメリカドルと併用されている点で、いつどれを使うかに悩まされることになるのである。ドルからチャットへの換金レートは銀行やブラックマーケットなどによって異常とも思えるほど異なる。空港にある正式な銀行では1ドルあたり450チャットがレートだが、ブラックマーケットでは1ドルが900チャットと二倍にもなる。さらに、一度チャットに換金してしまうと再びドルへ戻すことはほぼ不可能で、ミャンマーの外ではチャットは無価値同然なのだ。それに輪を掛けるように面倒なのが新しいデザインの100ドル紙幣による換金レートは最高で、50ドル札ではレートが下がり、それ以下の紙幣のレートはさらに低くなってしまうことだ。換金に使えるドル札のコンディションは新しくしかも完璧でなければならず(古いドル紙幣はコンディションが良くても換金レートは低くなる)、ちょっとでも破れていたり、表面が剥げていたり、しわが多かったりすると受け入れてはくれない。ジョージ・ワシントンの顔がちょっとだけかすれていた私たちのドル札も拒否されてしまった。

ホテル、アップスケールのレストラン、観光客のための商店などでは値段の表示が全てドルで書かれている。ホテルや商店の中にはドルをチャットに換算した上で(もちろん、外来者に不利なレートで)支払うことは可能だが、航空券やバスチケットを購入する際はドルしか使えない。その結果、私たちは換金という馬鹿馬鹿しいゲームに巻き込まれ、いくら換金すべきかや出国前にやたらと多額のチャットは持っていたくないなどでイライラすることになる。

0214_girl.jpg

この意味不明な換金ゲームにもかかわらず、ミャンマーの首都ヤンゴンは、伝統的な価値観や多様な文化、植民地時代の建物、そして現代的で洗練された要素が混在しながら全体的にゆったりとした印象を持ち、親しみやすく魅力多い都市だと感じた。大きな街であるにもかかわらず、雰囲気はエキゾチックだ。子供や女性は「タナカ」と呼ばれるサンダルウッド(白檀)のような木の粉を水に溶かして顔に塗っている。この濃い肌色の塗料を頬や額にさまざまなトライバルデザインで描いているのだ。紫やオレンジ色のランの花が菩提樹の幹の間から顔を覗かせる。男たちは「ロンギー」というチェックパターンの布をズボン代わりに腰に巻き、ベテルナッツを噛み、「チェルーツ」という名の葉巻を吸う。

0214_paya.jpg

どっしりとした方形の基礎から鐘の形をした黄金色の仏塔、ゼディが雲ひとつ無い青空にそびえ、午後の厳しい日差しを受けてギラギラと反射させている。そんな仏塔の中でも最大、最も聖なる寺院とされるシュウェダゴン・パヤは市内のいたる場所からもその神々しく瞑想的で魔法のような姿を望むことが出来る。夕日の光りの中で、その巨大な仏塔のシルエットが街の風景の中に浮かび上がる。ミャンマーの人々の大半は信仰厚い仏教徒である。そのことは知っていたのだが、市内には意外に多くのモスクも見られる。一日を通じて比較的静かな時間にはモスクからの祈りの声も聞こえるが、音量はインドで聞いたものほどは高くはなく、日中には騒音で掻き消されてしまう。この街にはその他にもヒンズー寺院やキリスト教会、カテドラルなども多くあるようだ。

0214_teashop.jpg

茶店はどの道路や街角にもあり、一日中客足は絶えることがない。店によって朝早く開くものもあれば夜遅くまでやっているものもあるようだ。客たちは雑談をしたり、簡単な食事やスナックを食べるためにやって来て、低い木製かプラスチックのテーブルを囲んで座り、欠けた陶器の茶碗で茶をすすり、飲茶のような方法で豚まん、あんまん、春巻き、ジャムサンド、麺、餅米とココナッツのミックスなどを食べる。通常、彼らが注文するのは濃い紅茶かコーヒーをコンデンスミルクで甘くしたものだ。薄目のウーロン茶は魔法瓶に入れて全てのテーブルに置いてあり、客は何かを注文しさえすればそこからいくらでもウーロン茶を飲むことが出来る。アメリカドルでわずか50セント払えば二人が紅茶二杯ずつと満腹になるまで小品を味わえる。

0214_tea.jpg

ヤンゴンの中心街には現代的な高層ビルがいくつか立ち、ビジネスオフィス、ハイエンドのホテル、ブランド商品店、トレンディーなカフェがビルの中に点在している。ビルの周辺の歩道は穴ぼこだらけで、穴に足を踏み入れたりつまずかないように歩くのに一苦労する。乾燥期の道路は埃っぽいが、インドに比べるとゴミは目立たず、比較的きれいに維持されている。道路を走る車は自家用からバスにいたるまでその大半が日本から輸入された中古車である。それを見ていると滑稽でもあり懐かしくもある。私が子供の頃には新車だった小さなマツダが、数十年後にここヤンゴンでまだ庶民の足として活躍している。日本から輸入した後、再度ペイントすることはしないようで、どの車も日本のどの会社のものだったのか、どの地方で走っていたバスだったのかが分かる。故郷の京都で走っていた薄緑と深緑の市バスをこの街で何台も見かけたのには驚きもし、笑いもした。

0214_tabacco.jpg

ミャンマーは至って安全な国である。ヤンゴンの市内を歩き回っている間も、旅の途上で少なくとも持ち続けている警戒心や身の回りの注意といったものが、ここでは全く不必要に感じるくらいだ。見た限りでは私たちに対してはもちろんのこと、人々の間でも暴力らしきものは全く見当たらず、他の国ではどこでも見かける路上での白熱した口論さえない。市民の間ではある独特の平和さと穏やかさが普通のようである。政府は、世界への対面を保つために国民に外国人には優しく親切に振る舞うことを奨励しているという。言うまでもなく、政府は観光客が持ち込む金(つまりアメリカドルのことだが)を意識しているようだ。が、人々が漂わせる優しさは、なにも政府がお膳立てしたからだけではないと私は思う。彼らの笑顔はこわばったものでも皮一枚だけのものではなく、まだ観光ずれしていないごく自然で純粋なものだと感じる。

この国を訪れる他の訪問者たち同様、私たちはミャンマーの深刻な歴史を知っている。大英帝国による植民地時代、第二次大戦中の日本による侵略、戦後の混乱に満ちた不安定な内部情勢、世界中に知られることとなった軍事政権による独裁と民主化の否定。人権蹂躙の記録。腐敗したシステム。貧しさにあえぐ人々。ミャンマーの生活が困難であることは明白だ。が、人々の姿勢は前向きでその表情は明るい。私たちがここに来てからわずか二日ほどだが、人々からはこれらの困難を感じず、心地よい雰囲気を味わっている。予想していた全体的に厳正で堅いムードに反して、私たちは優しい微笑みと無垢な笑い声に囲まれている。世界世論を意識して、ミャンマーは少しずつ世界への扉を開きつつある。観光客が旅費として使う金は、10%の税金以外は人々の手に残るという。とすれば、このささやかな献金が、いつかは人々の経済的独立に貢献し、さらに政治的な独立にもつながってゆくものになるよう我々は望むばかりである。ミャンマーの外では、多くの矛盾を抱えるこの国を訪れるか否かで今日も意見が交わされているのだろう。しかし、今ここにいる私たちは来て良かったと正直に言える。

Posted by taro at 16:43 | Comments (1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Copyright © 2004, LynTaro. All rights reserved worldwide.