2004年06月07日
カタルーニャ!

ヨーロッパでの旅は中盤を迎え、私たちはベルリンに滞在している。この街の様子をお伝えし始める前に、もう一度バルセロナを振り返ってみたいと思う。
バルセロナの人々にとって私たちが滞在していたのはカタルーニャであって、スペインではない。旅人たちに対応するカタルーニャの人々は、ガイドブックを見ながら「スペインに来た」とばかり考えている訪問者に対してスペイン語を仕方なく話すのだ。もちろん彼等同士の会話はカタルーニャの言葉、カタルである。理解できぬままテレビ番組を見ていてもローカル色の強い番組で話されているのはどう聞いてもスペイン語ではない。

数日の間私たちは、ミロ美術館やバルセロナ現代美術館をゆっくり味わい、多くのギャラリーを覗き、この街では規制されていないスプレーペイントを使ったグラフィティの技術、内容共に完成度の高い「作品」の数々を楽しみ、そしてローカルの食事を堪能した。同時に、私たちにとってほんの小さな認識でしかなかったカタルーニャの歴史と文化は日に増して確かな認識となっていった。私たちはスペインを訪れているのではなく、カタルーニャにいるのだ、と。
5月29日、私はブルガリアの国民的英雄であり、90年代にFCバルセロナの英雄ともなったフットボールプレーヤー、ストイチコフの現役引退記念試合を観に出かけた。伝統あるカンプ・ノウ・スタジアムにはFCバルセロナのファン、ブルガリアから駆けつけたファンを合わせて約1万5千人ほどの観衆がやって来た。ヨハン・クロイフ監督の指導の下、ストイチコフの貢献は大きく、念願のスペインリーグを1991年から4年連続で制覇することになる。これらの人々は決してこの英雄を忘れることはない。

フランコ政権時代に、この独裁者はカタル語を殲滅しようと試みた。FCバルセロナのクラブハウスでは、それに屈することなくカタル語の授業が行われたのである。FCバルセロナが資金に富んでいるのは、フットボールを嫌う人でさえもがこのクラブに対して大いなる支援を続けているからだ。その理由はカタルーニャの文化を守る事であり、カタル語を今後も代々継承させるためである。もちろん、サッカーやバスケットボールの舞台でも勝つ、という願望はいつも存在し続ける。この「中央」に対する牽制的な独立心はただスポーツに熱狂するだけではなく、政治的な意味も持つ。
2004年5月から9月まで開催されている大規模なイベント、「フォーラム・バルセロナ・2004」。このイベントの三つのテーマは「文化の多様性の認識」、「サステナブルな生活様式」、そして「平和の条件」である。プレゼンテーションの言語として主に四つの言語が使われていた。スペイン語、英語、フランス語、そしてカタル語である。現地の人々に直にコミュニケートし、アピールするにはカタル語を用いるのはむしろ当たり前である。このイベントで「Voices」という素晴らしい展示を見た。そこで掲示された「ある言語の死は一つの国の死を意味する」という言葉が印象的だった。この言葉に無言で頷き共鳴する人々の中に現地のカタルニアの人々が含まれるのは言うまでもない。
「スペインには行かなかった」というと少々言い過ぎなのだろうか。どちらにせよ、私たちが文化として知ったのはカタルーニャだった。
2004年05月27日
スペインのリズム

スペインの生活のリズムに接するのはこれが初めてである。シエスタを理解するにはやはり土地の人々に尋ねるのが一番だ。が、アムステルダムと違って英語を話す人が圧倒的に少なく、この手の情報収集には手こずる。そこで、最初の二晩宿泊したHostal Hillを経営する日本人オーナーにお尋ねしてようやく分かったような気がするが実感としてはまだ定かではない。シエスタの時間帯には実際に昼寝をするわけではなく、ゆっくりと遅い昼食を食べ、友達や仕事仲間やご近所さんとだべりまくるのがほとんどなのだそうだ。この国の人々にとっては伝統的な生活様式だが、現代の知識によると栄養の点や夜の就寝前に最後の食事をする事などからあまり健康的ではないようだ。
日曜日の朝二時頃。土曜の夜の熱気はまだ冷めやらず、街にはまだたくさんの人が歩いていた。歩道では四歳くらいの子供を連れた家族が楽しそうにはしゃいでいる。この時間でも起きている子供達は元気がいい。旅行者の私たちとしては生活の時間帯を調整するのが必要だろう。

私たちが現在滞在しているのはアパートで、FCバルセロナの本拠地、カンプ・ノウ・スタジアムへは徒歩十分で行けるところにある。近くには小さな教会が二つあり、ヨーロッパのどの教会でもそうであるように、時刻に合わせて鐘が鳴る。本来はこの二つの鐘が同時に鳴るはずなのだろうが、そこに三、四分間のずれがあって、私はそのずれにバルセロナの中心からちょっと離れたこのご近所さんへの親しみを感じている。一ヶ月後に訪れる予定のスイスでは多分こんな事はないだろう。
アパートから路地を隔てたすぐ向かい側では高さ四階ほどのビルの建設中だ。朝八時頃からガンガンと騒がしくなる。目覚ましは不要だ。十時頃から朝食の食べ直しなのだろう、三十分以上は静かになる。そして午後一時を過ぎると夕方の四時頃までは現場には誰もいない。シエスタの後、一時間半ほど働いてその日の仕事は終わり。このビルが完成するのは一体いつになるのだろうか。ともかく、これがこの街の人々のペースだと思う。ちなみにアメリカ国籍の企業、例えばHewlett-Packardのバルセロナ支社ではシエスタは無いと聞いた。
太陽の光がいかにも地中海らしく眩しい。私たちはこれから十日間ほどをこの街で過ごすことになる。
2004年05月26日
簡単すぎる入国

バルセロナには予定より一日遅れて22日の夕方に到着した。まず空気の違いを肌で感じた。湿気が高く、もちろんアムステルダムよりは暖かいが、日が暮れてからの風はまだ肌寒い。
アムステルダムからはEU諸国間を割安で飛べるEasy Jetという航空社で飛んだ。ウェブと空港のカウンターのみでチケットを販売している小さな会社である。バルセロナに到着したということはスペインに入国するということになるわけだが、税関どころか入国審査も何もない。オランダ入国時には少なくともパスポートに「記念スタンプ」を押してくれた。今回はそんなスタンプの機会さえ無かった。

ヨーロッパ諸国を旅慣れておられる方々には何の不思議もない事なのかも知れない。しかしアメリカに住んでいる人間にとっては驚きなのだ。ましてやスペインでは二ヶ月ほど前にマドリッドでテロが起こったばかり。EU参加国オランダからのフライトだからと言ってしまえばそれまでだろうし、実際にそれが理由なのかも知れない。スペインがイラクに送った兵士達を撤退させたからもう心配は無いと考えたのだろうか。あれほどの被害を受け、僅か二ヶ月後には国外からの入国者達をチェックしていない事はある種のショックでさえある。それとも、Easy Jet社を始めEU圏内のフライトを予約した人々の背景情報はすでに全て厳密にチェックされ、安全な客だけが乗っていると確認済みなのだろうか。ちなみにパスポートを見せたのはチェックインと搭乗の際のみだった。
一方、そもそもこれが本来あるべき近隣国同士の理想的なあり方なのだろうと納得もする。ヨーロッパが進化している証拠でもあるのだろう。どちらにせよ確かなのはこれらの国の警戒に関する考え方や感じ方がアメリカとは全く異なっていることだ。
アメリカや日本の政府やマスコミがあれほど宣伝している恐れは、特にアメリカの空港で顕著に現れる。国内線でさえもその例外ではない。アメリカ国民は「お国の安全のためだから」とただただ無言で、時にはブッシュ大統領への忠誠の表現なのであろうか、誇らしげにベルトを外し、靴を脱ぎ、ノートパソコンやPDAのスイッチを入れて武器ではないことを示し、自分達がテロリストではないことを証明するのである。
スペイン人は何を「恐れていない」のだろう?
